インタビューに応じる松尾尊兌氏=9日、ソウル(聯合ニュース)
インタビューに応じる松尾尊兌氏=9日、ソウル(聯合ニュース)
【ソウル9日聯合ニュース】歴史学を研究する松尾尊兌・京都大学名誉教授は9日に大韓商工会議所で聯合ニュースとインタビューを行い、3・1独立運動を「東アジアにおける反帝国主義運動の母体」と評価した。松尾名誉教授は同日、3・1独立運動90周年を記念する国際学術大会に出席し、「大正デモクラシーと3・1独立運動」をテーマに発表した。以下は松尾名誉教授との一問一答。

――3・1独立運動の意義は。

「日本の支配からの独立達成という目標を果たすことはできなかったが、独立運動は朝鮮で起こった全民族的な運動だった。また、これに刺激され5・4運動が起こり、台湾の自治運動が展開されたという点も注目に値する。中国や台湾など東アジア地域で発生した反帝国主義運動の母体になるという点で、3・1独立運動は非常に重要な意味を持つ。また、日本人がこの運動を通じて日本の侵略主義(帝国主義)の実情を知ったということも驚くべき点だ」

――3・1独立運動は単なる植民地解放運動というだけでなく、これを通じて大韓民国臨時政府が樹立されたという点で、近代民主国家を志向した運動だとの見方もあるが。

「重要な指摘だ。大韓帝国が滅亡してから10年も経たないうちに、朝鮮人が君主制でなく民主共和制を要求した点は謎だと言える。なぜ帝国の復活でなく民主共和国を要求したのか?日本のような場合なら、明らかに民主共和制でなく天皇制の復活を求めただろう。3・1独立運動の最も大きなエンジンのひとつは高宗の逝去だった。国王の死を悲しむ中で発生した運動だが、朝鮮人は君主制でなく民主共和制を求めており、この部分はさらなる研究が必要だ。ただ、韓国の王族は植民地時代に日本から特別待遇を受け、日本皇族の一部に編入された。『編入』に不満を口にした人もいたが、大半はこれを肯定したことから、朝鮮人は王族に良くない感情を抱いていたのではないかと思う。そのため、君主制より民主共和制を求めたのではないだろうか」

――日本では1万人余りが参加し普通選挙などを求める大正デモクラシーが起こったが、3・1独立運動との共通点と相違点は。

「形的に2つの運動は政治支配体制に対する国民的な抵抗運動だったという共通点がある。ただ韓国は独立を、日本は民主化を目的にしたという点で違いがある。また、大正デモクラシーが日本の侵略主義に反対しなかったという点も異なる。朝鮮に対する植民地政策の変更を求める人はいたが、日本は概ね『外に帝国主義、中に立憲主義』という既存の立場を固守した。日本人らが3・1独立運動に同情できない理由はここにある」

――日本は現在、3・1独立運動をどのように評価しているか。

「残念ながらも日本で過去に対する反省はほとんどない。問題は太平洋戦争の敗北後、天皇と天皇制が続いている点だ。戦争の最高責任者は天皇だが、天皇は戦犯裁判にかけられることもなかった。結局、戦争の最高責任者が自由の身になり、これは日本が悪いことをしなかったという認識に拡大した。今後はこうした行動に対する反省が出てくるよう期待する。それには日本人の認識が変わらねばならず、韓国との文化交流が活性化されねばならない。韓流のため、日本人が韓国の文化に関心を持ち始め、韓国の歴史と文化を新たに眺めようとする認識が日本国内に広がりつつある。韓流の広がりが、日本人が過去の過ちを反省する契機になればいいと思う」

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