元慰安婦の生存者のうち、93歳と最高齢のイ・スンドクさんが、先ごろソウル・西大門にある施設「ウリチブ(わたしたちの家)」でインタビューに応じ、今後の希望を尋ねる質問にこのように答えた。
イさんは、若いころの日本軍の暴行で体中傷だらけだと、つらい過去を打ち明けた。全羅北道・裡里(現在の益山)出身で、1934年に17歳で満州に連れて行かれ、苦難を味わった。「白米の飯ときれいな服をくれるという言葉にだまされて満州に渡った後、上海に移された。家に帰してほしいと泣けば、返ってくるのは日本軍の暴行だけだった」。
時がたち、1945年の植民地支配からの解放と同時に祖国の地を踏んだ彼女を待っていたのは、青天のへきれきにも等しい両親の死の知らせだった。「満州に連れて行かれる際、両親と満足に別れのあいさつもできなかったが、故郷に戻ると2人とも亡くなっていた」と目頭を熱くする。
解放により自由の身になったが、それまでに受けた苦難で体は満身創痍(そうい)の状態だった。女性としての人生は捨てざるを得ず、さまざまな病気で常に薬を手に生きてきた。「耳もよく聞こえず、腰も痛くて毎日薬で耐えている。死ぬ前に日本の謝罪と賠償の知らせを聞けば遺恨はない」と願いを口にした。
寒さのためしばらく休んでいたが、暖かくなれば、在韓日本大使館前で慰安婦問題解決を訴える水曜集会にも再び出席し、日本の謝罪を求めていく考えだ。
元慰安婦のキル・ウォンオクさん(83)も、「日本政府が謝罪と賠償を拒み、生存している女性がみな死ぬことだけを待っていても、問題はなくならない。子孫が記憶し、歴史が証言するだろう」と強調する。
施設でイさんとともに暮らすキルさんは、体が不自由ながらも慰安婦の人権回復と真相究明を目指し、世界各国で慰安婦の被害状況を証言してきた。「被害者の女性が生きるとして、あとどれだけ生きられるだろうか。わたしたちの代で日本の謝罪を受けねばならず、子孫に荷を負わせるわけにはいかない」と言葉に力を込めた。
国に登録された元慰安婦234人のうち半分以上の148人が、望んでいた日本政府の謝罪の言葉を聞けないままこの世を去っている。
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