ぺ・ジョンミさんが福島県広野町で運営している民宿「広野ドライブイン」=4日、広野町(聯合ニュース)
ぺ・ジョンミさんが福島県広野町で運営している民宿「広野ドライブイン」=4日、広野町(聯合ニュース)
【東京聯合ニュース】在日韓国人3世のぺ・ジョンミさんと父親は福島県の広野町で民宿「広野ドライブイン」を運営している。福島第一原子力発電所からわずか20.5キロメートル離れた場所に位置している。
 ぺさんらは昨年3月の原発事故後は避難生活を送った。だが、民宿に寄った際、「原発の復旧作業を行っている労働者が寝食を提供するところを探している」との話しを聞き、営業を再開した。
 周辺の住民らは避難し、店も閉店したが、原発から半径20キロメートルの警戒区域で民宿を営んでいるのだ。ぺさんは「福島県全体が放射能汚染で厳しい状況にある。広野町がさらに深刻なことはない。たいしたものは出せないが、私たちを必要とする人たちを見て見ぬふりをすることはできない」と話した。
 在日2世のホン・ゲジャさんは津波で岩手県大船渡市内で運営していたパチンコ屋を失った。
 ホンさんが津波の被害を受けたのは今回が初めてではない。1960年、チリのバルディビア地震の際も店が浸水した。当時、ホンさんの両親は盛岡から大船渡に移住してから3年で被害に遭った。国籍の問題で補償対象者から除外されそうになった。
 ホンさんの母親は「その時は差別も受けたが、今は津波の被害だけじゃない。大変だが今回も立ち直れる」と話す。
 大船渡付近の釜石市に住む在日2世のキム・ヨンナムさんは韓国料理店を営んでいたが、津波の被害を受け、ペンションを開業した。
 キムさんは震災で妻をなくした。キムさんと母親が2階に避難した後も1階の厨房を整理していた妻は突然押し寄せた津波にのみ込まれた。
 母親は嫁をなくしたショックで動けなくなり、金さんも妻を救えなかったことに苦しんだ。
 料理店をペンションに変えたのは、震災の復旧作業を行う労働者の泊まるところが不足していたため。「釜石にも役に立ち、自分の人生も開拓できる方法を選んだ」とキムさん。「在日は助けられるより助けていかなけばならない。もっと強くなるしかない」と意気込んだ。

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