明知大学人文科学研究所のチョン・サンス研究教授は20日、北東亜歴史財団の支援を受け、ドイツ外務省政治文書保管所所蔵の日本関連外交文書を研究していたところ、高宗が当時の閔鉄勲(ミン・チョルフン)駐ベルリン公使に送った電報のドイツ語翻訳本が見つかったと明らかにした。
この電報は、乙巳条約強制締結から7日後の1905年11月24日にドイツ外務省に届けられたもので、条約締結後、大韓帝国が外国政府に支援を要請した初の文書として評価される。
高宗はこの電報の中で、「伊藤(博文)特別公使、長谷川(好道)将軍、林(権助)公使が軍隊を引き連れ朕の宮殿に乱入し、武力を動員して朕を脅かし、彼ら自ら作成した条約に署名するよう強要した。日本人らはソウルに統監を任命し、韓国の外交権を日本に譲渡させた」と記述。こうした犯罪行為は国際法上、到底容認できるものではないと訴えている。また、ドイツの支援は国際法を通じ日本人に抗議できる自身と祖国のための唯一かつ最後の希望だとし、ドイツ政府に事実を知らせ支援を要請するよう、閔公使に命じた。
昨年は高宗が条約締結間近にドイツ政府に送ったとみられる電報も発見されている。チョン教授は、今回見つかった電報には昨年発見した電報よりも高宗の叫びがより切実に表われていると話す。乙巳条約が国際法上無効であることを高宗が初めて提起した文書という点で意味があると主張した。
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