事故後、関係者が自ら命を絶つのは今回が初めてではない。梨泰院事故以前に発生した2014年のセウォル号事故以降にも悲劇は続いた。
当時、キョンギドウ(京畿道)アンサン(安山)市タンウォン(檀園)高校の教頭は、事故から2日後の2014年4月18日、チンド(珍島)室内体育館近くの山で亡くなっているのが発見された。残された遺書には修学旅行を進めた自身を責める内容が記されていた。
セウォル号事故以降、ボランティアをしていたB氏は安山の自宅で遺体で発見された。B氏は、セウォル号事故発生後から珍島ペンモク(彭木)港と安山合同焼香所でボランティア活動をしていた。警察によると、B氏はセウォル号事故以降、精神的にまいっていたという。50代の男性C氏は、「大人として申し訳ない」と財布に入っていた約70万ウォン(日本円で約7万円)を遺族に寄付にしてほしいという内容の遺書を残し、安山の駐車場で自ら命を絶った。
セウォル号事故現場で支援にあたっていた警察官のD氏は、珍島大橋から飛び降りた。現場で遺族と親しくしていた彼は、同僚たちに激務とストレスを訴えていたそうだ。
Copyrights(C) Edaily wowkorea.jp 75