「ハングルを作った王」として知られる世宗の像(写真提供:ロコレ)
「ハングルを作った王」として知られる世宗の像(写真提供:ロコレ)
■表音文字がなかった時代

 日本は平安時代に漢字からひらがなとカタカタを派生させて、人々が発音する言葉をうまく表記する手段を得た。漢字だけだったら、とうてい日本人の発音を表記できなかっただろう。

 一方の朝鮮半島。15世紀になっても、公式に採用されている文字は漢字だけで、人々が話す言葉を正確に表記することは難しかった。加えて、教育を受ける機会があまりない庶民は、難しい漢字を使いこなすことがなかなかできなかった。つまり、漢字を熟知する特権階級だけが文字を縦横に使いこなし、庶民は不便を強いられたのだ。

 それを不憫に思ったのが、朝鮮王朝の4代王・世宗(セジョン)だった。彼は、漢字だけでなく、朝鮮半島の人々が簡単に覚えられる表音文字が必要だと考えた。

 しかし、大反対も予測された。中国は周辺国家が独自の文字を持つことを警戒していたし、難解な漢字を使いこなすことで特権を享受していた高級官僚が抵抗することが目に見えていた。

 そこで、世宗は極秘のプロジェクトを組織した。学識に優れた有能な若手学者を集めて言語の研究をさせたのである。その研究の中心にはいつも世宗がいた。

 1443年、ようやく民族独自の文字が完成した。それが「訓民正音(フンミンジョンウム)」である。今のハングルのことだ。

 この文字を公布するときに世宗は「学問がない人は言いたいことがあっても、思いどおりにその意思を表すことができない。これを不憫に思って新たに28字を作った」と述べている。

 訓民正音の公布によって、朝鮮半島の人々は自分たちが発する言葉を正確に表記する言語を得た。まさに歴史が変わったのである。


■誰がハングルを作ったのか

 画期的な訓民正音であるが、普及はそれほど進まなかった。やはりエリート層が抵抗し、漢字にこだわり続けたからである。せっかく新しい文字ができたのに、朝鮮王朝の公式文字は漢字のままだった。

 一気に普及が進んだのは19世紀の末である。日本や欧米列強に干渉されていた時期に、民族固有のものを大切にする風潮が生まれ、その中で訓民正音が見直されたのである。また、優秀な国語学者が訓民正音を使いやすく体系化したことも大きかった。

 その頃からこの文字は「ハングル」と呼ばれるようになった。「ハン」は「偉大」で、「グル」は「文字」。つまり、「ハングル」は「偉大な文字」という意味である。

 日本の植民地から解放された1945年以降、ハングルは韓国の公式文字となり今に至っている。

 ところで、世宗は訓民正音の創製にどのくらい関わっていたのか。

 朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」にも、世宗が訓民正音を創製する過程がまったく記されていない。周囲の反対を想定して世宗が徹底的な秘密主義を取ったことが影響している。

 しかし、様々な状況を考察すると、訓民正音の創製に世宗が主導的な役割を果たしたことは間違いない。もちろん、多くの学者が協力したであろうが、「世宗あっての訓民正音」なのである。

 そういう意味で、「ハングルは世宗が作った」と言っても過言ではない。こうした実績が評価されて、世宗は朝鮮王朝最高の名君という評価を得ているのである。

 それにしても、本当にビックリだ。今も使っている文字を600年近く前の国王が自ら作っていたとは…。

 世界の言語学者の間でも、世宗の名は特に有名である。


文=康 熙奉(カン ヒボン)
(ロコレ提供)

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