遅れる理由はかならず「渋滞」
遅れる理由はかならず「渋滞」
1990年代の後半、ソウルに取材に行ったときは、ロッテホテルのロビーでよく人と待ち合わせをした。そのとき、来る人がほとんど30分くらい遅れてくる。理由はきまって「渋滞がひどくて」。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は笑って相手を迎えたが、腹の中はイライラしていた。

■理由はかならず「渋滞」

 当時、ソウルの渋滞は名物だった。道路は混んでいるのが当たり前であった。

 そうであるならば、待ち合わせをしている以上、渋滞を見越して早めに出掛けるのが常識であろう。それなのに、いつもどおりにのんびり出掛けて、時間に遅れたら渋滞を理由にしている。

「なるほど。これがコリアンタイムか」私もあきれるしかなかった。

 韓国の書き手に原稿を依頼したときも、イライラすることが多かった。

 締め切りを守らない人が多すぎるのだ。催促の連絡をすると、プツリと行方不明になる。何度も催促して、ようやく連絡が取れると、「いやあ、伯父さんが亡くなってねえ」と古典的な言い訳が返ってくる。

「締め切りを守るという概念が希薄なんだな」そう考えるしかなかった。

■時間に関する概念が日韓で違う

 ただ、日本が時間にうるさすぎるのかもしれない。

 世界中を旅行したわけではないが、日本ほど時間に厳しい国は他にないのではないか。待ち合わせに5分遅れたら、もう携帯電話に問い合わせの連絡が入っている。

 そんな経験が何度もある。社会全体が「時間を守ろう」という意識でがんじがらめになっている。

 電車の運行が時間に正確なのはありがたいのだが、東武鉄道に乗っていたら、わずか2分遅れただけなのに、車内放送で「本日は電車が遅れて乗客のみなさまにご迷惑をおかけしました。心からお詫びいたします」とアナウンスしている。

 こんな国は他にないはずだ。

 ひるがえって韓国。日本から一番近い隣国なのだが、時間に関する概念は、かつては確かに違った。

 大陸的というか、おおらかというか、「まあ、そうアクセクしなさんな」という雰囲気を社会全体で感じた。

 これは今でも旧暦をよく使っているからではないのか。

■コリアンタイムの本質

 旧暦は、農耕社会には便利な暦である。

 それなのに、日本は明治維新後に新暦に変えて、現実の季節感と暦にギャップが出るようになった。

 韓国は今でも旧暦が基本。正月は「旧正月」であり、お盆も「旧盆」である。

 この「旧盆」のことを韓国では「秋夕(チュソク)」と言い、旧暦の8月15日が該当する。新暦だと9月下旬頃になる。

 つまり、日本と違って韓国では、正月と盆が1か月以上も遅れてやってくるのである。これこそが究極のコリアンタイムではないか。

 旧暦が便利な農耕社会では、なにごとも時間どおりにならなかった。それだけに、悠長に時が来るのを待つ習慣が根づいた。それこそがコリアンタイムの本質かもしれない。

 いちはやく旧暦を捨てた日本は、季節感が合おうが合うまいが、暦の通りに動かざるをえなかった。それに日本的な細かさが加わって、時間にきっちりするようになったのではないか。

 そんな気がしてならなかった。

■時間に遅れるわけにはいかない

 韓国も確実に変わってきた。

 相変わらず、時間に遅れた理由を「渋滞」になすりつけているのは、40代以上かもしれない。

 若い人たちは、中年以上の世代に比べると、時間をきっちり守るようになってきた。そこには、携帯電話の普及が大きく関係しているに違いない。

 なんでも情報を瞬時に得られる時代だ。待ち合わせに遅れないために何時に出掛ければいいかは、携帯電話が教えてくれる。そこまで情報が行き届いているのに、あえて時間に遅れようとする人は珍しいだろう。

 社会からも、おおらかさが失われつつある。若者の失業率は高く、大学を卒業しても正社員に就けない人は多い。そんな時代に、のんびりコリアンタイムで生活していたら、多くのチャンスを失うことになってしまう。みんな必死なのである。

 考えてみれば、コリアンタイムが許された時代は、人々の気持ちにゆとりがあったのかもしれない。

 かつてはなかったのに、今は割り勘が増えている。なんでも、きっちりするようになってきた。時間も同様である。「渋滞」はもう理由にできないのだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
(ロコレ提供)

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