ザッケローニ監督が目指したサッカーが間違いだとは思いません。「全ての責任は監督の私にある」と、かっこよく帰国した監督の背中からは潔さが伺えましたが、勝負の世界にあるどろどろとした怨念が見当たりませんでした。ザックからはイタリア人気質よりもあまりにも日本的な美意識を感じました。

 四年間磨き上げた日本のサッカーは、華麗で見る人を魅了しましたが、サッカーの持つ野性味や型破りな面は全然見られませんでした。

 型にはまれば素晴らしい結果を出しますが、突発的なことに対処できる能力に欠けた試合を見て、日本人の一面を見た気がします。

 こつこつ積み上げ完成する「予定調和」には長けても、予定外の事に対処する能力が欠けているのは、日本が長い間外国から攻められたことがなく、国と国、個と個のぶつかり合いの機会が少なかった平和の対価かもしれません。

 過去、トルシエ監督は選手を型にはめ、ボールの運び方までも決めたそうで、「日本人は決めごとを授けられることに慣れている」と言ったそうです。

 ジーコ監督は「日本人は規律を守りすぎる、言われた通りに動くがそれ以上のことはしない」と言ったそうです。

 だいぶ改善されたとは思いますが、まだ過去の日本代表の外国人監督の指摘が有効なようです。

●韓国の小話を一つ
 とは言っても、韓国でも型にとらわれることを揶揄した小話があります。

 テコンドー(日本の空手に似た格闘技)七段の青年が彼女とデートしているとき、三人の不良にからまれました。彼女は恋人の青年がテコンドー七段なので簡単にやっつけてくれることを期待しましたが、反対にボコボコに殴られてしまいました。

 怒った彼女は恋人にテコンドー七段なのになんで殴られっぱなしなのと問いただすと、「道場で習った通りに攻めてくれば、防ぎ殴ったけれど、セオリー通りに攻めてこないから防げなかった」と答えたそうです。真っ赤に腫れた顔をして……。


文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)

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