1964年に『椿娘』を発表後、ちまたには西洋風の音楽が流行り、当時は教養のある人が『椿娘』を歌えば見下されることもあった。
「若いころは”西欧風の音楽スタイルに変えてみようか”という誘惑にも駆られたが、勇気がなく苦労しながら歌ってきた」というイ・ミジャは、今では変えずに守ってきた甲斐があると胸を張った。「自分は垢抜けない人間なので、垢抜けないまま残りたい。伝統歌謡のルーツを継いでいきたい」と語った。
ヒット曲、伝統歌謡、新曲など101曲を収録した記念アルバムを発表したことについては「デビューした50年前も今も厳しい時代だが、アルバムには聴く人を癒す曲が収録されているので、時期的によく合うと思う」と説明し、自分の歌が困難を乗り越えるために役立てばと話した。
他界した日本の国民歌手、美空ひばりと比べられることに対しても胸中を語った。「美空さんは日本の歌手の中でも独特な人だった。彼女が日本で1番の歌手なら、韓国ではイ・ミジャだとよく言われた。美空さんの歌が好きで尊敬しているため、比べられることをうれしく思う」。
50年間にわたり、変わらぬ歌声を保ってきた点については「『椿娘』を歌っていたころにはスケジュールが忙しくのどを酷使し、声が通らなかった。最近は音の幅が広がったが、音の力が非常に弱まった」と明かした。
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