2001年7月、中国北京はアジアで3番目の夏季オリンピックの開催地に選定された。米国の日刊紙“LAタイムズ”は「中国は北京オリンピックを通じて、日本・韓国のよい前例を見習うだろう」と伝えた。これは「展望」のように書かれていたが「圧力」に近かった。国際社会が中国政府に課した「人権保障の責務を履行せよ」という要求であった。中国は人権改善の約束を公言してこそ、IOC(国際オリンピック委員会)委員の支持を得ることができた。
しかし「オリンピック遺産」はなかった。中国の人権は一歩も前に進まなかった。チベット自治区と新疆ウイグル自治区に対する弾圧・反体制人物の監禁や拷問・報道検閲・インターネット規制などに対する懸念と指摘は、2008年のオリンピック開催頃まで続いた。
世界最大の人権NGO“アムネスティ・インターナショナル”が「中国の人権状況が、むしろ悪化している」という報告書を発表したことで、米議会は「オリンピック・ボイコット」の可能性を警告した。しかし中国はびくともしなかった。華麗なシルクの布で醜さを隠すように、中国はきらびやかなオリンピックで人権問題を覆い隠した。胡錦涛主席(当時)は「中国と世界人民の相互理解と友情を一層深めた成功的なオリンピック」と評価した。
中国初のオリンピック誘致から20年が経った。果たして中国と国際社会間の相互理解はより深まったのか。
歴史は繰り返され、状況はより悪化した。2回目のオリンピック開催まであと50余日となった中国は、より大きな暗礁にぶつかった。「ボイコット北京」は現実となった。
ジョー・バイデン米政権は去る7日、中国の人権弾圧を問題視し、来年の北京冬季オリンピックに対する「外交的ボイコット」の方針を明らかにした。オリンピック精神を尊重し選手団は派遣するが、開・閉会式に政府使節団は送らないということだ。これに、英国とカナダ・オーストラリアなどの米同盟国たちもつづこうとする動きをみせている。
香港大学のスポーツ歴史学教授は「今の中国は、他国が中国をどのように考えているかは全く意に介さず、ひたすら自分たちのやりたい通りに行動している」と分析した。
来年秋に3期目を控えた習近平中国国家主席は、2022年北京冬季オリンピックの成功に全てをかけている。しかし西欧諸国の「ボイコット」がつづけば「半分だけのオリンピック」という烙印が押されることは避けがたいとみられる。
北京オリンピックのスローガンは「未来に向かって一緒に(Together For a Shared Future)」だ。人権と正義に対する国際社会の質問に中国政府が前向きな答えを出せなければ、世界と中国が「未来に向かって一緒に」と期待するのは困難なことである。
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