小和田氏は新潟県新発田町(現・新発田市)出身。東京大学卒業後、外務省に入省し、条約局長や官房長、OECD日本政府常駐代表大使、外務審議官、外務事務次官、国連日本政府常駐代表大使などを歴任した。退官後は、学術分野では東京大で30年以上教べんを取り、ハーバード大学やニューヨーク大学、コロンビア大学などで教授を務めた。2003年にICJ裁判官に就任し、2009年から12年まで所長を務めた。
小和田氏は外交官として韓国に勤務したことはないが、1965年6月に調印された日韓基本条約の文書作成に関わった。1991年8月に事務次官に就任した直後、元慰安婦のキム・ハクスン(金学順)氏が自ら元慰安婦として名乗り出て、日本政府に国家賠償などを要求。慰安婦問題への対応に追われた。
また、小和田氏は1993年に発足した「日韓フォーラム」の発足にも尽力した。同フォーラムは1993年の細川護熙(もりひろ)首相とキム・ヨンサム(金泳三)大統領(いずれも当時)との間で行われた日韓首脳会談を機に設置された。初代議長は小和田氏で、10年にわたって務めた。
同フォーラムは日米間の民間レベルの会議である「下田会議」をモデルとし、「未来志向」の新しい日韓関係の在り方を議論している。両国の政治家や経済人、学者、ジャーナリストなどのオピニオンリーダーの参加を得て、政治、経済、文化など幅広い分野にわたり両国の交流促進を図ることが目的だ。フォーラムではこれまで、2002年の日韓共催サッカーワールドカップ(W杯)の開催提言や羽田-キンポ(金浦)直行航空路線の新設の要望など、両国民の交流促進につながる様々な提言を行ってきた。
日韓両国で交互に毎年開催し、新型コロナ禍でもテレビ会議方式で開いてきた。30回目となる今年は、先月24~26日に都内で3年ぶりに対面形式で開かれた。両国から約50人が出席した。25日には日韓両国の友好親善に寄与した人や組織に贈られる「日韓フォーラム賞」の授賞式が行われ、今回は小和田氏に同賞が授与された。
小和田氏は授賞式で演説し、事務次官時代に慰安婦問題を扱った際に痛感した民間交流の重要性、両国の関係改善の必要性などを訴えた。事務次官時代を振り返り「慰安婦問題をどのように処理するかが次官だった私の業務の大半だった」と語った。外務省は慰安婦問題に関して1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、小和田氏も見解は同じだったというが、葛藤があったという。小和田氏は「法的にそうだとしても、人間としてそれでよいのでしょうか。法的に整理された問題だからといって、人間と民族の関係はそんな風に簡単に整理されません。だから日本が誠意を持って対応することが重要だと思ったのです」と当時を振り返った。小和田氏は当時の宮澤喜一首相にそうした趣旨の報告をし、その後、宮沢内閣は1993年、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた「河野談話」を発表した。
また、小和田氏は2002年の日韓共催ワールドカップについても語った。共催を求める声明を発表した同フォーラムには当初抗議の電話が殺到したという。小和田氏は「いったいなぜそんなことをするのかという電話だった。私はメンタルに良くないのでその言葉に耳を傾けなかった」とフォーラム議長を務めていた当時の状況を明かした。しかし、共催が実現し、韓国が準決勝に進出すると状況が変わったという。小和田氏は「今度は『共同開催なんだから、日本も韓国を応援しよう』という電話が来た。良かったと思った」と振り返った。
大会は日韓の距離を近づけたが、現在の両国の関係は「戦後最悪」とまで言われるほど冷え込んでいる。日韓最大の懸案である元徴用工問題をめぐっては、戦前に日本企業に強制労働をさせられたと主張する元徴用工が提訴。韓国の大法院(最高裁)は2018年10月に新日鉄住金(現・日本製鉄)、11月に三菱重工業に対し、それぞれ原告への賠償を命じた。両社とも履行を拒んだことから、原告側は韓国内にあるこれら企業の資産の差し押さえと売却(現金化)に向けた手続きに踏み切った。大法院は近く、原告が差し押さえた三菱重工業の韓国内資産の売却(現金化)命令を出す可能性がある。仮に現金化されれば日本政府は制裁措置を取る構えで、そうなれば日韓関係は破綻するとさえ言われている。このため、現金化は絶対に避けなければならないという点では日韓両政府とも一致している。
小和田氏は「関係は厳しいが十分克服できる。両国間の肯定的な要素を見つけ出して実現しなければならない」と語った。
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