岩波書店は雑誌「世界」に「T・K生」の筆による「韓国からの通信」を1973年から1988年までの15年間にわたり連載し、民主化を求める韓国の知識人や民衆の声を伝えるなど、韓国との縁も深い。そうしたバックグラウンドもあるからか、韓日間の不幸な歴史に対する反省とおわびの意味からも自著の韓国語版が韓国の若者の助けになることを望んでいるという。
長期にわたる編集者としての経験から、出版をとりまく日本の状況には危機感を覚えており、特に活字離れの進行は文化の崩壊につながると懸念している。「出版分野ではある意味で、日本は韓国の兄貴分に当たる」と話す大塚さんは、韓国の出版関係者と腹を割って議論するうちに、韓国の業界がしっかりとした見識を持ち、日本のわだちを踏まないよう努力する姿勢を感じたと話す。ただ、日本の大学生はインターネットや携帯電話の普及で新聞を読まなくなったと言われるが、インターネット大国として発展する韓国も、いずれ日本と同様の状況になるのではないかとの危ぐもある。このため自著が韓国の若い編集者、若い層にとって反面教師になるのではないかと期待を持っている。
大塚さんは「出版社や編集者は利潤を追求するためだけの存在ではない」という持論を強調する。活字を通じた豊かな相互理解が、ひいては人類全体の福祉にもつながるとの考えだ。出版の理念とは、どの分野であれ、人類が継承してきた遺産を伝えていくものであり、できる限り多様な形態が望ましいが、こうした理念だけは失ってはならないと力説する。書物は繰り返し触れることができる特性があるが、インターネット媒体は一過性にすぎないと手厳しい。
編集者は24時間勤務――現実には無理な話だが、編集者に求められるのはこうした姿勢だという。どの分野であれ専門家に執筆を依頼する際に、その分野のことをなにも知らなければ依頼すらできない。あらゆる分野について勉強するために、異分野の若手学者らと議論を続けることで現状認識を共有するなど、編集者としての研鑚(けんさん)への努力を惜しまなかった。そうした経験を持つだけに、発言のひとつひとつに重みと、出版を取り巻く環境への真摯(しんし)な思いが感じられた。
40年にわたる岩波書店での勤務のうち30年を編集一筋に生きてきた。入社から数年して感じたのは編集部に流れるある種の一流意識だ。これに違和感を覚えた大塚さんは、背広の内ポケットには常に辞表を持ち、「きょう辞めるか、あした辞めるか」と辞めることばかり考えていた。その中で、それまでの岩波書店からすれば疑問視されかねない企画を多く手がけてきた。「『アンチ岩波』の企画ばかりです」と笑う大塚さんだが、「ブランド」や「のれん」は守るだけでなく、つねに再生産しなければ意味がないという信念に基づくものだった。もっとも、「自分だけは反岩波という姿勢でがんばっているつもりでいたが、実はただ一人よがりに踊っていただけのことなのかもしれない」(同書あとがきより)との反省も。
韓国語版の出版は、親交のあったハンギル社の金彦鎬(キム・オンホ)社長を通じ、とんとん拍子に話が進み、日本での出版から1年で韓国の書店に並んだ。その日本版はしかし、40年勤め上げた岩波書店ではなく、新興のトランスビューから出版された。その理由を問われると、「理念を持った出版社だから」と答えた。2冊目の著書、「山口昌男の手紙 文化人類学者と編集者の四十年」もやはり同社から出版されている。40年にわたる出版業界での生活の根底に流れる活字文化に対する熱い思いが感じられた。
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