蘇我氏の人たちも、この甘樫丘の頂上によく登ったと推定されている(写真提供:ロコレ)
蘇我氏の人たちも、この甘樫丘の頂上によく登ったと推定されている(写真提供:ロコレ)
蘇我氏と物部氏の間で起こった仏教の受容をめぐる対立は、数十年も続いた。つまり、ヤマト政権の主導権をめぐる争いの中で、仏教が一番の争点になったのだ。治世は欽明天皇、敏達天皇、用明天皇へと移った。この用明天皇が在位2年足らずで世を去ってから、その後継者をめぐって蘇我氏と物部氏の対立が一層激しくなった。
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