【ソウル聯合ニュース】日本植民地時代に長崎県・端島(通称:軍艦島)の炭鉱に強制徴用された朝鮮人労働者の実態を体系的にまとめた韓国政府の報告書が4日、初めて公開された。
 国務総理所属の「対日抗争期の強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者ら支援委員会」は、5月から取り組んできた端島炭鉱強制連行被害の基礎調査報告書の作成がこのほど完了したことを明らかにした。
 長崎港から18キロ離れた端島は、19世紀後半に海底炭鉱の開発が本格的に始まった。厳しい自然環境と労働条件のために、朝鮮人と中国人労働者からは「監獄島」と呼ばれていた。
 支援委員会は、日本で作成された死亡者の火葬認可申請の記録や独自に進めた生存者面接調査などを基に、当時の端島の実像に迫った。太平洋戦争末期の1944~1945年には最大800人程度の朝鮮人が徴用されていたと推定される。委員会が強制連行の被害者として公式確認した朝鮮人は134人、同炭鉱での死亡が確認されたのは122人だ。
 生存者の証言によると、端島は海底炭鉱のため、採炭作業中に海水が坑内に流れ込みやすく、労働者は肌の炎症に悩まされた。また、メタンなどのガスが多量に凝縮しており、ガスが岩壁を貫き噴出する現象もよく起きたが、こうした危険のある区域には朝鮮人と中国人労働者が投入された。作業中に坑道の天井が崩れ、岩石が落ちてくる事故もまれではなかった。生存者によると、坑内はまっすぐ立つこともできないほど狭く、温度は45度を超えたという。
 端島には当時、高層集合住宅も建っていたが、朝鮮人は海沿いの建物の「飯場」で生活した。島の周りの波は高く、海水が流れ込むことも日常的だった。外部とは完全に隔離されており、一部の労働者が脱出を試みるも、すぐに捕まり拷問を受けた。ある生存者は「とてもつらく、島を抜け出すために体の一部を切断することまで考えた」と証言した。
 端島に連れて来られた朝鮮人の多くは、1945年8月に長崎市に原子爆弾が投下されると、市内の復旧作業に駆り出され残留放射能を浴びた。
 委員会のユン・ジヒョン調査官によると、端島で死亡した朝鮮人の死亡原因は第一に強制連行、次に劣悪な労働環境と確認されたという。ユン調査官は「(炭鉱を所有していた)三菱がこの一帯の炭鉱を閉鎖した際、死亡者の納骨施設を破壊し遺骨を無作為に処理したために、遺族確認も難しい状況」とし、日本政府と三菱に責任を問い、遺骨返還を推進する必要があるとした。
 また、日本政府と自治体が端島炭鉱を含む九州・山口の近代化産業遺産群の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産への登録を目指していることに触れ、「日本政府は登録を推進しながらも、こうした事実に一切言及していない」と指摘した。

Copyright 2012(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0