碑石は太平洋戦争中、沖縄戦に強制徴用され犠牲となった朝鮮人を追悼する慰霊碑だ。豆多さんとカンさんにより、英陽と沖縄・読谷に建てられた。
二人の出会いは16年前にさかのぼる。豆多さんは1997年、沖縄で太平洋戦争の犠牲者を追悼する催しを開催し、カンさんらを招待した。カンさんは戦争の惨状を生々しく伝えたほか、当時亡くなった仲間の遺骨を探し、韓国に納めたいと訴えた。
衝撃を受けた豆多さんは1年後、沖縄で遺骨発掘作業を行ったが成果を出せず、遺骨返還の代わりにカンさんが住む英陽に犠牲者を追悼する慰霊碑を建てることにした。
豆多さんは募金を始め、1000万円が集まった。1999年に英陽、2006年に読谷にそれぞれ慰霊碑を建設した。
英陽の慰霊碑を管理していたカンさんが昨年2月、91歳で亡くなり、豆多さんは英陽郡庁に碑石の管理を要請した。
豆多さんは碑石について、正しい歴史を伝えるとともに、日本と韓国を結ぶ平和の懸け橋という象徴性があると語る。碑石を建てたとき、太平洋戦争に動員された韓国人が「以前は日本という文字を見ただけでも憎いと思ったが、碑石を建てると凍りついた心が少しは溶ける気がする」と話したという。
豆多さんは「歴史に無関心な両国の若者に碑石の意味を伝えたい」と話す。草の根交流が両国関係の改善の鍵になると意気込んだ。
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