11日と16日(事故当日)との航跡比較
11日と16日(事故当日)との航跡比較
旅客船セウォル号の3等航海士が危険区間である孟骨(メンゴル)水路海域で操舵したことは海運会社が無理な出港を強行したためだということが明らかになった。

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 事故当日、仁川旅客ターミナルで出港予定されたすべての旅客船が濃い霧のため運航をあきらめたが、セウォル号だけが唯一出航した。海運会社が出港を強行していなければ、経験の浅い3等航海士が孟骨水路海域で操舵の指揮をすることもなかった。

 セウォル号は普段危険区域である孟骨水道と松島の中間を午前 6時~6時10分台に、事故地点は午前 6時 20分台に通った。当日の業務時間表によると、この時間帯は 1等航海士が操舵の指揮を取ることになっていた。しかし事故当日は気象の悪化で予定より 2時間ほど遅い午後 9時に出航していた。

 出港時間が遅延して航海士の運航区間が変更され、1等航海士の代わりに 3等航海士が事故地点で舵を取った。3等航海士は危険区間である孟骨水道海域をずいぶん過ぎてから操舵の指揮を取ることになっていた。しかし会社側が出港遅延時間を見逃して、勤務時間表を修正することができなかったようだ。セウォル号が航路を脱していつもより運航速度を高めたことも事故の要因だと指摘されている。

 検察も中間捜査発表で船長、3等航海士、操舵手に対し、運航速度を落とさず無理な変針をして船舶を沈沒させた点を指摘した。操舵手の1人であるオ・ヨンソクさんは 「普段直線区間は 18~20ノット、危険区間である狭い所では 16~18ノットで運航する」と説明した。

 しかし事故当日の航跡運航資料と4月11日の資料を見ると、セウォル号がいつもより速度を高めたことが確認できた。11日の航跡資料には経度125.50~125.55 の間で1分ごとに取れるセウォル号の運航記録座標は 26個。事故当日には 22個だけだった。座標間距離も事故当日が長く表示されている。

 これはセウォル号が同一時間の移動距離が長かったことを意味し、それほど速度が高かったということを傍証している。事故当時に舵を取った操舵手のチョさんの証言がこれを裏付けている。操舵手のチョさんは「舵をいつもどおり回したが、いつもよりたくさん回った」とし「間違いもあったが舵がいつもより回った」と説明した。

 普通、速度が早くなった時「船がよく回る(舵がよく回る)」という表現をベテラン操舵手たちは使う。

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