韓国歴史教科書国定化の広報用「ユ・グァンスン烈士の動画」によって彼女への感心が改めて高まっている。(提供:news1)
韓国歴史教科書国定化の広報用「ユ・グァンスン烈士の動画」によって彼女への感心が改めて高まっている。(提供:news1)
韓国教育部が最近、歴史教科書国定化の広報用「ユ・グァンスン(柳寛順)烈士の動画」で、彼女の闘争が現行の検定教科書から抜けていたり、不正確な記述があったりしたことを問題にすることで、彼女への感心が改めて高まっている。

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 そんな中、三・一独立運動の専門家と呼ばれる三・一独立運動記念事業会のイ・ジョンウン会長は28日、「ユ・グァンスン烈士は、日本の植民地体制が植民地教育で育て上げた最初の世代だ」とし、「その最初の世代が独立運動をしたという事実は、植民地教育を白紙化させることを意味する」と述べた。

 イ会長は28日午後、ソウル市江南(カンナム)区の島山安昌浩記念館で行われたインタビューで「三・一独立運動の際に武力弾圧によって両親まで失ったにもかかわらず、17歳のユ・グァンスン烈士は恐れずに法廷でまで抵抗的な態度を見せた」と語った。

 さらに、1919年6月30日にソウルの裁判所で行われた2審判決の被告人名簿にユ・グァンスンの名前が最初に出てきた事実を挙げ「忠清南道(チュンチョンナムド)の並川(ピョンチョン)市場デモ2審判決を見ると、ユ・グァンスン烈士について最初に言及されている」とし、「現場ではユ・グァンスン烈士の叔父やチョ・ビョンオク博士の父親らが一緒にいたが、ユ・グァンスン烈士が名簿の最初に記載されていた。これはユ・グァンスン烈士が市場デモを主導したということだ」と述べた。

 イ会長によると、当時の女性の平均身長は150cmだったが、ユ・グァンスン烈士の身長は169.7cmだったという。「背の高いユ・グァンスン烈士は、ソウルで独立宣言を主導しただけでなく、近隣地域を回ってデモに参加するよう呼びかける連絡係の役割をしていた」とし、「デモをする時も、国旗を持って前に立つなど、父や叔父、近所の人たちが参加したデモで主導的位置にいた」と説明した。

 ユ・グァンスン烈士は、1919年の三・一独立運動の際に梨花学堂の高等科1年生だった。彼女は三・一独立運動と、3月5日に起きたソウル万歳デモに参加した。イ会長は「学校では校長が門を開け閉めして出て行けないようにしたが、塀を越えて2回のデモに参加した」とし、「ユ・グァンスン烈士は泣きながら学校に抗議したという目撃者の証言がある」と語った。

 またユ・グァンスン烈士についての内容が教科書にきちんと記述されない理由について
「三・一独立運動の際に万歳デモをして亡くなった人が数千名に達したことにより、ユ・グァンスン烈士もその中の一人として考え、度が過ぎた行動だったという一部からの主張があった」とし、「しかし我々の独立運動史において女性の発掘という側面においてもユ・グァンスン烈士は独立運動の象徴的意味が大きい」と述べた。

 イ会長は歴史教科書の国定化騒動についての言及は避けたが、韓国の教科書体系を改める必要があると明らかにした。「今の教科書構造ではユ・グァンスン烈士を詳しく扱うことはできない」とし、「1ページにいくつもの事件を並べ、それを扱っていかなければならないため学生も試験のために年代と事件を覚える程度だ」と指摘した。

 続けて「フランスでは、小学校で古代史、中学校で中世史、高校で近代史を教えている」とし、「その中で詳しい内容を扱うことができる。今の教科書には事件の前後関係が抜けているため、脈絡を理解できない。教科書は試験中心に構成されるしかないのだ」と述べた。また「教科書に対する根本的な考えを通じて、何を教育的に伝えるものなのか、十分な考慮が必要だ」とし、「その中で共同体の価値も成立させなければならない」と強調した。

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