国家公務員採用試験の受験生が多いほど、立派な人材を選抜できる可能性が高く、実際にもそうだと、政府は常に誇ってきた。

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しかし、点数だけを見て評価する試験で、結果的に選ばれるのは点数が高い人である。しかも、立派な対国民サービスを行わなければならないのに、当の庶民ではなく、苦労せずに勉強ばかりしてきた人々が試験を経て高位職に根を下ろす。

これは、当初の意図に沿わない部分である。こういう場合、庶民や貧民の“痒い所”をどれだけ知っているか疑問だ。それに無駄なエリート意識、または自尊心ばかりを押し立てている。「あの熾烈な競争を勝ち抜いたのだから、他人とは違う」という意識を持ちやすい。だから高圧的なのかもしれない。

新しく始まったSBSドラマ『乾パン先生とこんぺいとう』は、このような公務員採用の逆説が、教職にも適用可能だと思わせてくれる。また何よりも、果たして韓国社会で基準が曖昧な問題児(?)が教師になったとしたら、どんなことが起こるだろうか。それはまた、どんな意味を持つのだろうか。

伝説的なケンカ番長として猛活躍(?)していたナ・ボリ(コン・ヒョジン)は、300発の“愛のムチ”を受ける途中、「父なし子」という言葉に激昂し、結局は学校を追い出される。この過程でドラマは、映画『火山高』を思わせる特殊効果で目を引こうとしている。

時は流れ、特殊効果の中の彼女はいつの間にか大学を卒業し、フリーターになっている。その場で高校を退学させられた彼女は、大検を突破。教育大学に進学し、教師になろうとするが、それもあえて他所の学校を辞し、母校の教師になろうとする。

現実世界でこのように母校に戻るということは、どんなに涙ぐましいだろうか。先生たちに、よくがんばったと歓迎してもらえるのではないかと思われるが、学校の現実は厳しい。

母校の恩師たちは両手を上げて反対し、校舎の外へ彼女を追い出す。検定試験を通じて苦労に苦労を重ねて来た人に、いたわり励ますことはできないまでも、自分を追い払う教師たちの冷たさに、ナ・ボリは涙を流す。問題児だった彼女は受け入れられないという教師たち。
しかし、本当に学校に必要なのは、ナ・ボリのような人物だ。こういうと怒る人も多いだろうが、教職社会の最大の問題点は、教師のほとんどは模範的な生徒だったという事実である。

中・高校時代ずっと大人しく勉強し、大学でも他に人生の苦労や経験もなく、教員採用試験勉強ばかりをしてきた彼らのほとんどが教師になるのが現実という指摘は、果たして間違っているとはいえない。最近、一層競争が激化し、このような傾向はより強まるだろう。

教育政策を担当する政策立案者、専門家集団、公務員組織も同様だ。彼らは勉強ができて褒められてきた人々で、学生時代に問題を起こしたことも、そのために涙を流したり、排除されたことのない人がほとんどである。

そのせいか、彼らが感じている体罰や訓育の問題点も表層的だ。ドラマのような教師による暴力の乱舞、300発の“愛のムチ”を受けたという経験も少ない。300発叩かれた生徒の感情が分かるだけでまだマシなのである。ほとんどは、生徒たちの心理や視点について分かっていないことが多い。このような現象は競争者が増え、制度的・形式的な条件やその優秀性を求めて充員する場合、一層ひどくなる。

こうした場合、生徒たちの視点や心理をよく知りもしない、経験や感情を共有できない人物が、今後も教育政策を企画・立案・樹立・執行・評価することになる。経験や共感がないので、外国の理論や観念的な政策しか出ないわけであるから、数年間放置され、繰り返し登場する。学校も然りだ。

なぜ教育集団の頭が固いのか、充分に理解できる。前述したような、苦労のない成長過程による“模範的な”教師の論理しかない場合、階級・階層・生活環境によって、生徒たちの持つそれぞれの認識方式や経験観、価値観の差をまとめる、第一線の教師の力は落ちてしまう。

秀才だった教師より、鈍才(?)だった教師の方が、教え上手だという説がある。秀才だった教師は、苦労せずに勉強してきたので、生徒の多くが何をどう理解できないのか、よくわからないからだ。

また、学校生活に適応しにくい生徒たちを、何の問題も無く褒められて育ち、教師となった者が教えるというのは限界があって当然だ。極端に二分法的だと思われるかもしれないが、文の行間を見失わないでほしい。

大切なのは、学科目の教授法の前に、ナ・ボリのような人が多くあってこそ、少なくとも、生徒たちの心理と視点を共有できるということである。何でも共有し、共感することがすべての問題を解いていく最初のステップだからだ。

SBS『乾パン先生とこんぺいとう』で、ナ・ボリはチ・ヒョヌ(キム・ダヒョン)への想いに惹かれて母校の教師になろうとする。

ドラマは、拒否されたナ・ボリが紆余曲折の末、パク・テイン(コン・ユ)との契約で、まず臨時教員となる設定を含んでいる。もちろん、現実ではほとんどありえない話だ。やはりいい題材を取ったにもかかわらず、トレンディドラマの現実回避の軽さが出ている。

もしかすると別のところにリアリティを期待しているのかもしれない。ラブストーリー、四角関係のリングに閉じ込められるのではなく、問題児(?)だった教師が、生徒たちと繰り広げる、その後の教室風景がどんなであろうか、ということにである。

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