【ソウル聯合ニュース】韓国の大手芸能事務所、SMエンタテインメントが創立20周年を迎えた。韓国にアイドルグループの大ブームを巻き起こし、日本や中国など海外にもいち早く進出。世界にKポップを広げるきっかけを作った。 SMの李秀満(イ・スマン)会長は2006年2月の創立10周年記念行事で、「10年後、アジア最高のエンターテインメント会社になる」と宣言していた。それから10年、SMは動画コンテンツ製作やカラオケのアプリケーション関連、外食業、雑誌などを手掛ける約10社を傘下に置く総合エンターテインメントグループ、アジアを代表するプロダクションに成長した。 2000年に業界で初めて新興市場コスダックに上場し、2012年には時価総額が1兆ウォン(現在のレートで約1057億円)を突破した。昨年の売上高は2870億ウォン、今年は3169億ウォン(証券会社の平均予想)に拡大するとみられる。◇アイドルグループ、Kポップの出発点 SMの前身は李氏が1989年に立ち上げたSM企画だ。ヒョン・ジニョンをスターに押し上げるも、スキャンダルにさらされた。1995年に新たにSMエンタテインメントを設立。翌年にデビューした男性アイドルグループのH.O.T.が爆発的な人気を集め、1997年デビューの女性アイドルグループS.E.S.も成功を収めた。他社も次々とアイドルグループを送り出し、最初のアイドルグループブームが生まれた。 市場規模が限られた韓国を最初に飛び出したのもSMだ。輸出、合弁、現地化の3段階戦略で海外開拓に乗り出した。 2000年に韓国アーティストとして初めてH.O.T.が中国でコンサートを開催し1万人のファンを熱狂させると、現地のメディアが大きく取り上げ、「韓流」という言葉が使われ始めた。同年にデビューした女性アーティストのBoAは、2001年に日本に進出し翌年オリコンランキング首位に立つなど、海外進出の象徴となった。 SMの海外進出はここから加速した。2005年に日本に進出した東方神起は海外アーティストとして数々の記録を塗り替え、SUPER JUNIOR、少女時代、SHINee、f(x)、EXOという強力なラインアップが続いた。コンセプトとターゲットの細分化が奏功したとされる。 SMはKポップをアジアだけでなく、欧州や南米にも広めた。欧州のKポップファンの要望に応え、SMは2011年にフランス・パリで所属アーティストが出演するワールドツアーを開き、その熱気を実感させるとともに、Kポップという言葉を知らしめることになった。◇プロデューサーがアーティスト育てる時代に SMが海外展開で成果を上げた基盤には、アーティスト育成・プロデュースのシステムがある。1970~80年代のレコード会社がアーティストを育てる時代、1980~90年代の社長がマネージャーを兼ねるプロダクションが新人を発掘しCDを制作した時代を経て、李氏をはじめ梁鉉錫(
ヤン・ヒョンソク、YGエンターテインメント)や
パク・チニョン(JYPエンターテインメント)ら、プロデューサーである社長がアーティストを育てる時代へと移った。 SMは人材を発掘し歌やダンス、芝居、外国語など体系的な教育を施し、海外の作曲チームと協業するプロデューシングの仕組みをつくった。今ではほとんどのプロダクションがこのシステムを取り入れている。 李氏はSMのパリ公演が開催された2011年に聯合ニュースとのインタビューで、「世界中の作曲家、振付師とのネットワークをもち、10年ほど前から一緒に取り組んできたことが結実した」と話している。組織的な育成システムもSMの利点だとした。 SMのスタジオセンターは海外も視野に入れた楽曲を生み出すために、国内外の作曲家との協業作業を随時行っている。 また、同社のコンテンツはアイドルグループのダンス音楽の印象が強いが、最近は分化・拡張傾向にある。SHINeeとf(x)がエレクトロニックダンスミュージックなどを取り込んだり、グループで活動するメンバーがソロ活動で個性をアピールしたりしている。今後もこうした流れはさらに活発になるとみられる。 来年初めにはEXOに続く新たな多国籍グループがデビューする計画だ。SM側は「多国籍の概念を超える、グローカリゼーション(グローバリゼーションとローカリゼーションの造語)の概念に忠実なチームとコンテンツを長年準備してきた」と説明する。◇成功の裏に市場の画一化や契約問題 新たな挑戦と成功には副作用や試行錯誤がつきものだ。 SMは歌謡界をアイドルダンス音楽一色に塗りつぶしたと批判される。SMの成功例に続こうと各プロダクションがアイドルグループを売り出したが、似たりよったりのグループが次々に登場することになった。 また、SMのように資本力とネットワークを持つ大手が大量のコンテンツで市場を独占した結果、画一化が進んだという意見もある。「Kポップ=アイドル音楽」という認識が生まれたのもそのためだ。2004年に東方神起を筆頭に第2のアイドル時代が開かれ、2007年の少女時代やWonder Girlの登場で歌謡界は完全にアイドル市場となったとされる。あるプロダクションの代表は、「この10年間、アイドルの音楽に囲まれてきた消費者が徐々に疲労感を感じているようだ」と話す。 SMでは専属契約をめぐる紛争が相次ぎ、アーティストがプロダクションを離れる事例も少なくない。2009年に東方神起を脱退しJYJを結成した3人との紛争は数年に及び、SUPER JUNIORの中国人メンバーのハンギョン、EXOの中国人メンバー3人は契約期間や収益の分配などを理由に訴訟を起こし、グループも脱退した。 業界関係者は「標準契約書を導入するなどアーティストを保護する制度と仕組みが設けられてはいるが、幼い年で練習生となりデビューを目指して練習を重ね、競争に投げ込まれるために、副作用が生じるようだ」と話す。SMに限らず多くのプロダクションに共通する問題であり、ともに解決すべき宿題だという認識が業界にはある。 mgk1202@yna.co.kr
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