<フィギュア>最年少優勝記録ユ・ヨン「はやくキム・ヨナみたいになりたい」。(提供:news1)
<フィギュア>最年少優勝記録ユ・ヨン「はやくキム・ヨナみたいになりたい」。(提供:news1)
韓国のフィギュアスケート界はキム・ヨナ(25)の登場で大きく変化した。キム・ヨナは2010年のバンクーバー五輪で頂上に上り、韓国のフィギュアスケート史上初となる五輪金メダルを獲得。ヨーロッパやアメリカの選手が支配していた女子フィギュアで、キム・ヨナのような存在は想像すらできなかった。

キム・ヨナ の最新ニュースまとめ

 目に見える成績がすべてではなかった。キム・ヨナの姿を見た後輩たちが一人、二人とフィギュア界に入門した。キム・ヨナ以降、まだ国際舞台での成果はないが、有望株たちが登場し続けているのが韓国フィギュア界の現況だ。

 去る10日、ソウル・木洞(モクトン)アイスリンクにて開かれた「第70回全国男女フィギュアスケート総合選手権大会」でもまた一人“期待株”が出現した。女子シングル・シニア部門で総合183.75を獲得し、キム・ヨナの歴代最年少優勝(12歳6か月)記録を10か月上回った11歳のユ・ヨン(ムウォン小学校)だ。ユ・ヨンもやはり、“キム・ヨナキッズ”の一員だ。

 キム・ヨナは10日、ユ・ヨンに直接授賞した後、「昨年から良い姿を見せてくれていた。わたしが小学生のころより上手だ。負傷にだけ気をつければ、実力はさらに伸びるだろう」と称賛を惜しまなかった。

 ユ・ヨンは幼少期にシンガポールへ留学に渡り、満6歳のときに趣味でフィギュアスケートを始めた。ユ・ヨンが最も参考にしたのはキム・ヨナの試合映像だった。ユ・ヨンは「幼い頃からヨナさんの映像を見ながらたくさん学んだ」とキム・ヨナが自身の成長の大きな動力になったことを明かした。

 その後、2013年に韓国に戻り、本格的な選手生活をスタートさせた。そして、昨年5月、韓国のスポーツ界史上最年少で国家代表に選ばれ、泰陵(テルン)選手村で生活した。泰陵でユ・ヨンは大きく成長した。広いスケートリンクに午後0時から2時、6時から8時までの体系的な練習で自信感と共に技量も発展した。

 ユ・ヨンを指導するハン・ソンミコーチは「広い泰陵の練習場で自由にスケーティングしながらジャンプの高さや飛距離が伸びた。まだまだ力不足で補強する部分も多いが、成長し続けている」と明かした。ユ・ヨンの母親イ・スクヒ氏(46)は「ヨンは泰陵選手村で受けるマッサージを好む。泰陵で生活し、健康面でも良くなった」と述べた。

 また、国家代表の先輩との生活、そしてキム・ヨナとの定期的な出会いもユ・ヨンに大きな力を与えた。ユ・ヨンは「最初はぎこちなかったが、生活しながら先輩方と親しくなった。また、泰陵にヨナさんが一週間に二度ほど来てくれた。昔からロールモデルとして見ていたヨナさんと互いにあいさつを交わせて、会う度にうれしかった」と語った。

 しかし、ユ・ヨンはしばらく、泰陵選手村で生活できない。大韓スケート連盟が昨年7月「激しい競争や負傷から幼い選手たちを保護する」という理由から満13歳以上の選手を国家代表に選ぶことで、規定を変更したためだ。新規定の適用時点は2016年1月1日だった。満11歳8か月のユ・ヨンは年齢に達するまで個人トレーニングをしなければならないのだ。

 しかし、ユ・ヨンは持ち前のポジティブ精神で未来を見つめている。ハンコーチは「ヨンはスケーティングを楽しむスタイルだ。常に肯定的に考える態度が強みだ。今大会でも心理的圧迫に勝った」と述べた。

 もちろん、欠点も多い。ハンコーチは「表現力とスケーティングは良いが、まだ幼いために力が不足している。基礎体力を付けるのに努めなければならない」としながら、「スピンやジャンプももっと発展させなくては」と説明した。

 ユ・ヨンもこれらをよくわかっている。ユ・ヨンは「技術と腕の動作をさらに整えなければならない」としながら自身を冷静に見た。しかし、肯定的な姿は失っていない。ユ・ヨンは「いまは国家代表にはなれないが、はやく代表入りし世界選手権にも出場して、ヨナさんのように五輪で金メダルを取るなど有名な選手になりたい」と笑顔を見せた。

 大韓スケート連盟関係者は「公平性により国家代表招集には至らないが、連盟次元で訓練場の提供や奨学金授与など最大限、選手を保護する方案を協議している」と明かした。

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