変化が早い韓国社会の中でも、特に芸能界は人気者の入れ代わりが激しい。そんな中で、ペ・ヨンジュンは新作がないままに悠然と日々を過ごしているように思える。(写真提供:OSEN)
変化が早い韓国社会の中でも、特に芸能界は人気者の入れ代わりが激しい。そんな中で、ペ・ヨンジュンは新作がないままに悠然と日々を過ごしているように思える。(写真提供:OSEN)
変化が早い韓国社会の中でも、特に芸能界は人気者の入れ代わりが激しい。そんな中で、ペ・ヨンジュンは新作がないままに悠然と日々を過ごしているように思える。実際、経営の仕事に忙殺されているというわけでもないであろう。しかし、ひとたび時機がくれば、彼は真っ先に姿を現すに違いない。

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■士大夫という生き方

 ペ・ヨンジュンは、多くのファンの支持を集めるスターでありながらメディアでの露出が今はない。それゆえ、あれこれと思いをめぐらせてしまう…彼の1日はどんなふうに彩られているのか、と。

 そんな想像を重ねていると、一つの言葉にたどりついた。それは「士大夫(したいふ/韓国ではソンビと呼ばれてきた)」である。ペ・ヨンジュンに対して感じる“孤高”のイメージがこの言葉を導き出したのかもしれない。

 士大夫(ソンビ)とは、朝鮮王朝時代に在野で学問的な研鑽を積んだ高潔な人のことだ。日本の歴史上では同じような概念を持った存在がないので、士大夫を理解してもらうには相応の説明が要るかもしれない。

 朝鮮王朝時代には儒教が国教になっていて、国の制度から庶民生活の隅々まで儒教が強大が影響力を持っていた。その中で、男性の最高の望みは儒教の教義に精通し、官職を得て立身出世することだった。

 しかし、一部の清廉潔白な人たちはあえて官職にこだわらず、市井の中で自らが率先して儒教的道徳規範を生活の中で実践した。それが士大夫であり、彼らは自分たちの生き方そのものが他の人々を教化する模範になると信じた。

 高い教養を持った高潔な士大夫たちは人々から一目置かれ、その存在は王ですら軽視することができなかった。

 とはいえ、士大夫はただ堅物だったわけではない。彼らは志が同じ仲間と一緒に酒を飲み談論風発を好んだ。また、詩や文章を通して自らの人生論を後世に伝えた。

 以上のように説明してきてペ・ヨンジュンの話に移ると、自然に映画『スキャンダル』のことを思い出してしまう。


■的を得たキャスティング

 朝鮮王朝時代、士大夫の対極に位置していたのが退廃貴族たちだった。彼らは名門に生まれた境遇に甘んじ、ただ享楽に溺れて人生を無為に過ごした。

 映画『スキャンダル』でペ・ヨンジュンはそんな退廃貴族に扮した。これは、大方の人からは“意表をつく配役”だと思われた。

 なにしろ、この映画が制作された2003年当時、ペ・ヨンジュンの謙虚で誠実な人柄は韓国でも知れ渡っていたのだから。

 まさに、主役が本人と正反対の人物を演じることで虚構の世界に際立った物語性を持ち込もうというのが映画『スキャンダル』の試みの一つだった。その狙いは十分な成果をあげた。

 なぜそう言い切れるかというと、観客たちの多くが退廃貴族の中に潜在的にあった“真実の愛を渇望する心情”を見抜いたからである。

 仮にペ・ヨンジュンが主役を演じなければ、あそこまで観客たちが退廃貴族の心の中にまで入っていけたかどうか。

 たとえ俳優は虚像を演じる存在だとしても、人生に真摯に向き合っている人であれば、対極に位置する人格に扮してもきちんと本質を見せてくれるのだ。

 つまり、意表をつく配役のように見えて、実は的を得たキャスティングだったと言えるのである。


■ただ平等な魂のひとつ

 ペ・ヨンジュンのキャリアにおいて独特の芳香を放っているのが、『韓国の美をたどる旅』の執筆だった。これは、俳優とは一線を画す作業であったために、彼のプロフィールから洩れてしまうことが多いのだが、実は人間ペ・ヨンジュンを語る際にはターニングポイントになった作品であると思える。

 日本や他のアジア諸国の人たちに韓国の文化と芸術を自ら紹介したい、というのが執筆の直接の動機だったが、同書を読んでみると、その深い精神世界に引き込まれる。

『韓国の美をたどる旅』では書名のとおり、ペ・ヨンジュンが最初から最後まで旅を続けている。それは、韓国の各地に住む名人たちの息吹に触れる旅だ、と言っても過言ではない。

 その旅を通して、ペ・ヨンジュンは韓国という国の成り立ちを文化的な側面から明らかにしてくれるのだが、彼が文化・芸術分野の士大夫たちを訪ねまわって最後に私が気づいたのは、ペ・ヨンジュンこそが“士大夫(ソンビ)”だったということである。

 彼は同書の後書きでこう書いている。

「出会う人々や体験するすべてのことが、生まれて初めて感じる新鮮な思いとして受け止められる時間となった。胸は高鳴り、自分でさえ知らなかった意欲と情熱が蘇ってきた。新しい物事に接する時に感じる即興的な感動以上の何かがいつも心の奥底に残り、次の旅程を期待させてくれる、そんな旅だった。自然の前で、深い芸術の魂の前で、巨大な遺産の前で、私はただ平等な魂のひとつに過ぎなかった」

 この文章の中では、“ただ平等な魂のひとつ”という表現に感銘を受ける(韓国語版では、「魂」という言葉が「霊魂」になっていて、より神秘的な精神性を感じさせる)。


■自分の使命に忠実になる

 平等な魂のひとつ…つまり、ペ・ヨンジュンは偉大なるものの前で自分を謙虚に見つめ直しているのである。

 その姿勢こそが士大夫になくてはならないものだ。

 それでは、現代韓国において、「士大夫(ソンビ)のようだ」と言われることにはどんな意味があるのだろうか。

 経済優先の考え方からすれば、士大夫とは在野にいて出世を果たせなかった人、というイメージがまとわりつく。“損得”を価値基準にすれば、それは“損”な役回りなのかもしれない。

 しかし、経済より人間性を尊重する社会になると、士大夫に対する印象は一変する。彼らの精神が世の中を動かすきっかけにもなりうるのだ。

 朝鮮王朝でもし王政に誤りがあれば、士大夫たちは死をかけて王に諫言することをいとわなかった。また、他国から侵攻を受けたとき、士大夫は真っ先に立ち上がって自らの使命を果たした。

 作品がしばらく不在だからといって、ペ・ヨンジュンは隠棲しているわけではない。必要なことがあれば、かならず表に出てくるだろう。

 そのときはいつなのか。

 待つほうにも覚悟が必要である。

 結婚をして子供も授かろうとしているペ・ヨンジュン。やがてかならず自分の使命に忠実になるときがくる。


文=康 熙奉(カン ヒボン)
(ロコレ提供)

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