初めて韓国に行くとき、母から言われた。「ぼる人が多いから気をつけて」。このアドバイスが効いた。少々のことでは驚かなかった。
タクシーに乗ると、遠回りをされることが何度かあった。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は地図を見るのが好きで、どこを走っているかをいつも地図で確認していたから、すぐにわかった。
少々のことなら目をつぶっていたが、あまりに遠回りをされると、ムキにならないように注意しながら言った。「なんで近い道を行かないんですか」。答えはきまってこうだった。「渋滞に巻き込まれるから」。
そう聞いて、それ以上は突っ込まなかった。本当に渋滞が理由のときもあるからだ。
まだ仁川(インチョン)空港ができる前の話だが、金浦(キムポ)空港からソウル中心部に行くとき、タクシーの運転手がこう言ってきた。
「メーターを倒さないから3万ウォンを払ってください。みんなそうしているから」。倍以上取ろうというわけだ。
それでも、私は「オーケー」と言った。とても愛想のいい運転手だったので、当時の韓国の世情について車内で聞こうと思ったのだ。
案の定、痛烈な政府批判が飛び出した。そういう話を聞くのが大好きなので、身を乗り出して運転手の話に耳を傾けた。
「3万ウォンでも安いくらい」。そう思ってタクシーを降りたのだから、運転手が一枚上手だった。
■客が日本から来た場合
飲み屋での話に移ろう。地方の食堂で食べながら酒を飲むときは、メニューの代金が決まっているので、勘定は規定どおりになる。
違うのは、スナックのような店の場合だ。原州(ウォンジュ)の橋の上の飲み屋に行ったときのこと。とても愛想のいいママがカウンター越しに酔客の相手をしていた。
一応、メニューと価格が壁に張ってある。他の客の勘定を聞いていると、だいたい1人1万ウォンくらいだった。
私は日本から来た友人2人を連れていた。楽しく飲んで、ママとワイワイ地元の話をして、気分がとても良かった。
そろそろ勘定の時間となり、頭の中で予想を立ててみた。私たちが地元の人間なら、1人1万ウォンで合計3万ウォンだろう。
私たちがソウルから来た韓国人の3人連れなら、5万ウォンだと言われそうだ。
さて、私たちは日本から来た3人連れだ。ママはいくらと言うだろうか。
当のママが金額を言ったとき、私は心の中で「当たった!」と叫んだ。自分の予想どおりになったことで、気分はさらに良くなり、気持ちよく飲み屋を出ることができた。勘定はピッタリ10万ウォンだった。
■ブレない主人
ソウルの南大門(ナムデムン)にある露店の飲み屋も忘れがたい。
通りに丸いテーブルがいくつも出してあって、心地よい風が吹く夜に私は家族と一緒にマッコリを飲んだ。となりには、夫婦と娘2人の4人連れがいた。
その家族が帰り際に店の主人ともめてしまった。勘定のことでかなりの言い争いがあり、中年の女性が声を荒らげて去って行った。
主人は30代後半の男性。あとで私たちのテーブルに来て、こうぼやいた。「見たでしょ。さっきのお客さん、あまりにひどいと思いませんか。娘2人を留学させたと私にさんざん自慢していたんですよ。それが会計になって、2万5千ウォンと言ったら血相を変えて、あんなに怒っていたんですよ。あれだけ食べて飲んで2万5千ウォンなら安いくらいですよ。本当にやっていられませんよ」。あまりに嘆くので、私も「まあ、いろいろな客がいるから」となぐさめるしかなかった。その後、私は若い主人と世間話をして、ときには笑い合った。
楽しく過ごしたあと、ホテルに帰る時間になったので、勘定をしてもらおうと思った。私はいつもの癖で、勘定を予想してみた。
「うちは4人の家族。前に怒って帰った4人家族の勘定は2万5千ウォンだった。若い主人は『ウチは安い店だ』という雰囲気をにおわせているので、私たちが日本から来ているとしても、3万ウォンがいいところかな」。そんなことを思いながら、主人の一言を待った。
彼は金額を言う前に、頭の中でいろいろ計算をしているような雰囲気を漂わせた。その様子を見ながら、私はますます予想金額に自信を持った。
「キリがいいし、間違いなく3万ウォンだ」。頭の中で計算するポーズを終えた主人は、一瞬、ゴクリとツバを飲み込むような仕種をした。あとで考えれば、あれで金額がはねあがったのかもしれない。
「5万ウォンです」。主人の声を今でも思い出す。勘定をめぐるトラブルを見ていた私たちに対しても、あるいは、とてもフレンドリーに話し合ってきた私たちに対しても、主人は臆することなく平然と、日本から来た人向けの金額を言ってきた。
ブレないと言えば、その通りだ。亡き母のアドバイスは、今に至るまで効いている。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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