父の法要で祭壇に飾られた料理の数々(写真提供:ロコレ)
父の法要で祭壇に飾られた料理の数々(写真提供:ロコレ)
■祭祀の後は知人の消息で盛り上がる

 3月29日は父の命日だった。

 日本では、亡くなった人の法要は、三周忌を過ぎると七回忌、十三回忌となり、何年もの空きが出る。

 しかし、韓国ではたとえ何十年が経とうとも、かならず毎年行なわれる。

 昔は命日当日の午前零時から祭祀(チェサ)を行なったらしい。しかし、現代社会では真夜中に親族が集まるのは難しいので、命日前日の夜に行なわれるのが普通だ。

 よって、父の祭祀は3月28日の夜に行なわれた。午前中から忙しいのが親族の女性たちだ。早くから集まって、祭壇に備えるご馳走を作るのである。私の妻も祭祀の日にはかならず仕事を休まなければならない。

 男は楽だ。仕事を終えてから夜に集まり、祭祀が始まるまで酒を飲んで待っていればいい。午前中から料理作りに忙しい女性とは労力にかなりの違いがある。

 祭祀は30分もかからずに終わる。亡き人が地上に戻ってきたと想定して、たくさんのご馳走と酒を召し上がっていただく儀式を順番に行なっていく。そうやって祭祀が終わると、今度は先祖に差し上げた料理を列席者みんなで堪能するのである。

 この場が賑やかになる。我が一族では男女が別々の席で会食をするが、男たちは大いに酒を飲みながら、政治・経済問題からスポーツの話までとりとめなくしゃべり続ける。

 特に、「誰が金を儲けた」、「誰が借金で逃げた」といった話は定番で、祭祀の酒の場は知人の消息で盛り上がる。

 私はいつも長っ尻で、目の前の料理を片づけられても、構わずに酒を飲んでいる。そして、家に帰ると妻にお叱りを受けるのである。


■先祖の祭祀があまりに多い

 数年前に済州島(チェジュド)で祖父の祭祀に出たことがある。

 日本以上に盛大にやっているのかと思ったら、意外と質素だった。集まる親族も少なかった。「なるほど」と納得がいった。

 韓国では1970年代から当時の朴正熙(パク・チョンヒ)政権の肝入りで、冠婚葬祭の簡素化が推進されてきた。

 結婚式にしろ葬式にしろ、借金をしてまで大げさに行なうことが多かった韓国。それがいかに家計を苦しめる原因になっていたか。特に、先祖を供養する祭祀の数は非常に多く、しかも身分不相応なくらいに費用をかけすぎる家が多かった。その結果、「農村の近代化をはかるためにも、冠婚葬祭の簡素化が必須」というのが1970年代以降のお題目になった。

 しかし、在日コリアンの家庭にまで、その声は届かなかった。むしろ異国にいる人たちのほうが、本国の伝統をしっかり守ろうとする傾向が強い。我が一族も、冠婚葬祭の簡略化などハナから思っていない。父に教えられた通りに、今も先祖の祭祀を続けているのである。

 それにしても、「孝」こそ最高の徳目と考える儒教思想が深く根づいている韓国では、祭祀の数があまりに多すぎる。私は父から「本来なら五代前までさかのぼって先祖の祭祀をしなければならない」と教わったことがある。

 そんなことを数百年にわたって行なってきたと聞くと、「子孫は先祖の墓を守り、数多い祭祀を行なうために存在するのでは?」と思っても不思議はない。

 ただ、祭祀は面倒なだけではない。親族がひんぱんに集まる機会があるので、そこで一族の結束を実感できるのだ。韓国が未だ強烈な家族主義の国であるのは、あまりに多い祭祀が大いに関係しているに違いない。


文=康 熙奉〔カン ヒボン〕
(ロコレ提供)

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