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■息子を餓死に追い込んだ王
『テバク』の第7話で象徴的な場面があった。
淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏から生まれたヨニングン(後の英祖)が、朝鮮王朝の高官から生まれの低さについて陰口をたたかれたのである。
ヨニングンは悔しくて仕方がなかった。
これは史実にのっとった話である。
というのは、1724年に即位した英祖は、母親が低い身分の出身であったことをかなり気にしていたという。
現実でも、高官たちの陰口を聞いてしまったことがあったのではないか。なんといっても、英祖にとっては母親がコンプレックスの原因になっていた。
その英祖は、1762年に世子(セジャ/王の正式な後継者)だった息子を米びつに閉じ込めて餓死させる事件を起こしている。
相当な偏屈者だったようだ。
そうでなければ、いくら息子に問題があったからといって、餓死まで追い込むことはなかっただろう。
■もしも延齢君が長生きしていたら
英祖は1694年に生まれているが、5歳下の異母弟が延齢君(ヨンニョングン)である。延齢君の母は粛宗(スクチョン)の側室だった榠嬪(ミョンビン)・朴(パク)氏だった。
『テバク』の第8話に、粛宗が延齢君をとても可愛がる場面が出てくる。気難しい粛宗も延齢君といるときは別人のようだった。
これも史実に合っている。
というのは、粛宗は張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗や淑嬪・崔氏が産んだ英祖よりも、延齢君を特別に可愛がっていた。世子は景宗であったが、粛宗は延齢君に替えたいと願っていたふしがある。
実際、延齢君はまれにみる秀才で、同時に孝行息子でもあった。粛宗にとっては、景宗や英祖よりも延齢君が頼もしく思えたことだろう。
『テバク』の第7話から第8話が描いている時期は、1716年頃と思われる。そうだとすると、当時の年齢は景宗が28歳、英祖が22歳、延齢君が17歳ということになる。粛宗の次の王位を狙う争いは激しくなることが予想された。
しかし、3年後に粛宗にとって衝撃的な出来事が起こる。延齢君が1719年にわずか20歳で早世してしまったのである。
■英祖に対して反乱を起こした男
粛宗のショックがいかに大きかったか。
彼は急激に衰えて、1720年に59歳で世を去ってしまった。無念の気持ちが命を縮めたのであろう(なお、淑嬪・崔氏のほうは、その2年前の1718年に48歳で息絶えていた)。
粛宗に代わって20代王になったのは景宗だった。
王位争いに敗れた英祖は、苦しい立場に追い込まれた。もし景宗に後継ぎがいたら、英祖は歴史から姿を消さなければならなかっただろう。
しかし、景宗に子供はいなかった。
さらに、景宗自身が1724年に亡くなってしまった。こうして英祖は21代王の座につくことができるようになった。
だが、宮中では「英祖が景宗を毒殺した」という噂が広まった。4年後には英祖を糾弾
する反乱まで起きている。
このときの反乱の首謀者の1人が李麟佐(イ・インジャ)だった。『テバク』ではチョン・グァンリョルが演じている。
要するに、歴史上で李麟佐は英祖と激しく敵対する立場だった。
そうした関係を『テバク』はうまく取り込んで、ストーリーを大きく展開させているのである。
文=康 熙奉〔カン ヒボン〕
(ロコレ提供)
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