■朝鮮王朝の要望が通った
ニセモノを寄越した対馬藩。朝鮮王朝が激怒しても当たり前なのに、あえてそうしなかった。
切実だったのは、戦乱の最中に日本に連行された人々(被虜人と言う)を早急に帰国させることだった。
その数は5万人にのぼると推定されていた。被虜人の家族から無数の嘆願書が朝廷に届いていて、それに対応する必要に迫られていた。
そのためには、使節を日本に派遣して徳川幕府と交渉しなければならない。
また、国書と罪人がニセモノであるとしても、あくまでも形の上では朝鮮王朝側の要望通りになっていた。
つまり、日本側を代表している対馬藩が国書を先に持参してきたことは、それを受ける形の朝鮮王朝がずっと有利な立場になったことを意味していた。
一応の形が整っていることを理由にして、朝鮮王朝は使節の派遣を決めた。使節の名称は、従来であれば「通信使」とするのが慣例だが、今回は家康の国書に対して回答するという名目を前面に出して、「回答使」にした。
■江戸での国書交換を望んだ幕府
1607年1月、呂祐吉(ヨ・ウギル)を正使とする朝鮮王朝の使節団460人余が釜山(プサン)を出発した。
一行は対馬に立ち寄ったあと、瀬戸内海を通って大坂に上陸。このときに使節一行は、不倶戴天の敵が築いた巨大な城を見て、その規模の大きさに圧倒された。しかも、秀吉の遺児である秀頼が大坂城にいたのである。戦乱から9年。壮絶な戦いの記憶はまだ生々しかった。
使節一行は京都を経て浜松に至った。
家康の側近が駆けつけてきて言った。
「大御所はすでに将軍職を秀忠様にお譲りになっておられます。皆様は江戸に行かれて、秀忠様に国書をお渡しくださいませ」
呂祐吉が反論した。
「国書は家康殿に宛てたものである。なんとしても直接渡したい」
呂祐吉はそう訴えたが、家康の側近は、
「大御所はお会いできません。ぜひ江戸へ」
と強く拒んだ。
「ならば、挨拶だけでも……」
呂祐吉は、家康との面会だけは実現したいと迫ったが、それも許されなかった。家康の側近は「とにかく江戸へ」の一点張りであった。
■朝鮮王朝の返書も偽造された
やむなく朝鮮王朝の使節は駿府から江戸に向かったが、その行列を家康は楼上から見送った。彼には、使節の来日を国内政治に利用したいという思惑があった。
その思惑とは?
1603年2月に征夷大将軍となった家康は、1605年4月に将軍職を三男の秀忠に譲った。わずか3年でなぜ家康は将軍の座から下りたのか。それは、「将軍職は徳川家の世襲」「豊臣家に政権が戻ることはない」ということを世に示すためだった。
それからの家康は駿府にて大御所として裏の実権を握っていたが、表向きの将軍はあくまでも秀忠だった。それなのに、朝鮮王朝の国書を家康が直接受け取ってしまえば、江戸の権威が失墜してしまう。その事態をなんとしても避けなければならないので、家康は挨拶すらも拒んだのである。
事情はともあれ、幕府の態度は非礼であった。
呂祐吉の憤慨も甚だしかったが、彼は最終的に幕府の意向を受け入れた。なんとしても、国書の交換と被虜人の帰国を成功させたいという思いが強かったのだ。
使節一行は江戸に到着したのち、1607年5月6日に江戸城で将軍の秀忠に謁見して国書を渡した。
この国書は、使節団の派遣を要請する徳川家康の国書に対する返書だった。しかし、徳川幕府はそもそも国書を出した覚えがない。なにしろ、対馬藩が独自に国書を創作して出していたのだから。
それなのに、徳川幕府が返書を受け取ると、すぐに国書の偽造が露顕してしまう。そこで対馬藩は、朝鮮王朝が差し出した返書の文字も勝手に書き換えた。
■上機嫌だった家康
具体的に言うと、返書の書き出しには「奉復」という文字があったのだが、それを「奉書」に変えている。「奉復」では返書であることが一目瞭然だからだ。この他にも、書き換えが数多く行なわれた。
このように、国書の偽造によって国交が回復するに至ったが、朝鮮王朝にとって大きかったのは、幕府に被虜人の送還を正式に約束させたことだ。さらに、日本を往来する間に様々な形で被虜人の調査を行なうこともできた。
逆に、使節の宿館を訪ねてくる被虜人も多かった。使節の存在そのものが被虜人が名乗り出る契機になったのだ。
使節は、最終的に1400人ほどの被虜人を一緒に連れ帰ったとされている。全体から見ればわずかな割合だが、使節が日本に来なければその人たちも帰国できなかった。1400人という人数が示す意味は決して小さくない。
また、家康と面会するという目的も、使節は帰路に実現させている。駿府城で家康は遠来の客人を大いに歓待し、「今後は両国の和平を大いに望みます」と上機嫌に語った。
こうして徳川幕府と朝鮮王朝の善隣関係の礎が築かれた。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』(著者/康熙奉 発行/実業之日本社)
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