私が通っているカトリック教会での神父に対する接し方を見てもそうです。
韓国人の信者にとって神父は神様に近い存在でその権威は絶対です。まるでお殿様に接するように手厚くもてなします。上座にお座りになるのはもちろん食事の内容にも気を遣いますし、どこかへ行くときも電車でなく自家用車でもてなします。民主的(?)な神父がいて「信徒と一緒でいい」といってもそれは礼を欠くものとして受け入れられません。
私がこの原稿を書いているときも思わず「神父」では礼を欠くので「神父様」と書かなければと思ってしまうのです。
これに比べて私たち韓国人にとって、日本の神父は大変民主的で友達感覚です。
偉ぶらず謙虚で食事会で神父も割り勘なのにビックリしました。韓国では一緒に食事してくれるだけでも光栄なのにお金を払わせるなんてもってのほかです。正月など特別な日には食事を作ってもてなすか、レストランにお招きして接待をします。
これだけ書いたら韓国の神父が横柄で偉そうにしていると思われるかもしれませんが、神父は神父なりに自腹を切って信徒たちをご馳走したりして心を通わせます。一緒にお酒を飲んだり、カラオケに行くなど情を通わせながらキリストの教えを広めていきます。
もちろん日本の神父もしないわけではありませんが、情の厚さが違います。
サラッとしたドライな関係とコテコテな情の関係とでも言いましょうか。
文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)
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