「韓国有名高同窓生の自画像」で、韓国現代史の流れがよく理解できたと思いますが、私が韓国に行った一九六〇年代中盤のソウルは、今の発展の様子からは想像もできないものでした。
まだ地下鉄や高層ビルもなく、ようやく発展の糸口を掴んだ時期でした。電気事情が悪いため全体的に暗く暖房も練炭が主流で、下宿でも練炭漏れから来る二酸化炭素中毒がよくあり、私が尊敬する大学教授がそのためにお亡くなりになったのはショックでした。
大学教授という社会から尊敬されていた人が練炭で暖を取っていたこと自体が、当時の貧しさを物語っていました。国民一人当たりの所得が百ドルにも満たず、アフリカ諸国やフィリピンにも及ばない最貧国でした。
当時の街には飴やとうもろこしを膨らました食べ物と瓶や古新聞を交換する廃品回収業者が、飴を切るはさみを鳴らしながら街を歩き回っていました。
少したってからは髪の毛を回収する人も現れ、ビックリさせられました。当時はカツラが主だった輸出品で人毛を集めていたのです。
昨年、中国のある地方でも髪の毛を買いあさっている番組を見て懐かしさを感じました。
●見た目で得をする
当時は地下鉄がありませんでしたので、主な交通機関はバスでした。神風精神で無秩序な運転は外国人だけでなく現地の人も一苦労で、私も慣れるまで一年以上掛かりました。
乗客をぎゅうぎゅう詰めにして、車掌がバスの車体をたたくのが発車オーライの合図で、車掌の若い娘さんが無賃乗車のお客と渡り合うさまは戦争さながらで、何と強い女性なのかと驚かされました。
今となっては懐かしいものです。バスの運転手も歩合制なのかわかりませんが、できるだけたくさんの人を詰め込もうと、わざとハンドルを大きく切ることによりお客を密着させ空間を作っていました。最初は何て粗い運転かと腹が立ちましたが、その意図がわかるにつれ生活のたくましさを感じました。
バスといえばこんなこともありました。学校の帰りのバスの中で乗客の一人がスリにあったと叫び、バスは一時停車し、連絡を受けた警察が来るまで缶詰にされました。私は一瞬不安になりました。
といっても、私がスリをした訳ではありませんが、私のポケットにはマイルドセブンが入っていたからです。読者の皆さんは「それが何か?」と思われるかもしれませんが、当時は国産のタバコの売り上げを伸ばすため、貴重な外貨を節約(タバコの購入による)する目的で外国のタバコの喫煙を禁じており、見つかれば罰金を取られました。もちろん韓国人に限りますが、私が日本から来たとしても韓国人には間違いありませんので。
やがて警察が来て一人ひとり取り調べられる羽目になり、私の心臓はバクバクでした。「学生の分際で洋もく(外国タバコ)を吸うとはなにごとか!」、と一喝され罰金まで取られるのですから……。
警察官は約六、七十人の人全員を調べるのは物理的に無理だと思ったのか、身なりや人相で怪しそうな人とそうでない人を選別しはじめました。私の番になり、警察官は私の顔と胸の大学のバッチを見て怪しくないほうの列に行けと顎で指示しました。
その瞬間どんなにホッとしたことか!ソウル大学のバッチの威力に助けられました。韓国人は「外見で値踏みする」という先輩の言葉が思い浮かびました。
韓国にこんな話があります。きちっとした身なりでネクタイを締めてホテルのパーティー会場にいけば、昼食や夕飯がただになります。日本のようにいちいちチェックしないので、何の咎めもなく会場に潜り込み、堂々と食事をすることができるからです。
文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)
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