少女時代 の最新ニュースまとめ
しかし、韓国社会で財閥家は決して王家に比肩されない。俗にいうNoblesse Oblige(ノブレス・オブリージェノブレス・オブリージェ/身分の高い人間には相応の義務が伴うという英国貴族の考え方)に代表される最小限の社会的義務でさえ守れないまま、政経癒着が染み付いているのが韓国財閥のイメージである。暮らしている家が“宮廷”を連想させるくらい豪華だとしても、彼らが王族であるわけがない。このような発想こそが、賎民資本主義の決定版だ。
ドラマの中でルル姫キム・ジョンウン(コ・ヒス役)を“お姫様”扱いする本拠地は、韓国屈指の財閥として設定された“KUグループ”だ。チョン・ジュノ(カン・ウジン役)は、勢いに乗っている建設会社の後継者らしく、華麗な背景を自慢する。
財閥の祖父の“宮廷”でまっすぐに育ち、世間知らずな“ルル姫”は、性格がこれまたどれだけ賢いのか、友達を守ってやるために花嫁のベールまで代わりにかぶるほどだ。その渦中に結婚式の客として来ていた“王子”チョン・ジュノと関わり、複雑に絡み合うというのが彼らの運命的な出逢いなのだ。
映画『ローマの休日』の中のオードリー・ヘップバーンより賢く身の程知らずな“お姫様”になるため、東奔西走するキム・ジョンウンの姿は切ないほどである。
チョン・ジュノは王子のイメージに合わせ、スポーツカーはもちろん、イギリス正統貴族のように乗馬までこなすだけではあき足らず、愛に命をかけるロマンティシズムまで駆使しなければならない。財閥とは全く似合わない純情派ロマンチストの異名までもらったチョン・ジュノの前には、お姫様ママとの左衝右突まで引き受けるミッションインポッシブルが待っている。
しかし、このように現代版お姫様の蘇りに苦心する制作陣の努力にも関わらず、ドラマ『ルル姫』にお姫様と王子はいなかった。財閥を王家と比べた単純な図式自体が役不足であった。
大韓民国政府樹立後、“お姫様”は歴史の中に消えた。昌徳宮の一間の楽善斎で、懸命に屏風のような存在として余生を送ることが、大韓帝国の最後の皇族が大韓民国政府から保障された恩恵の全てだった。
悲しい韓国近現代史を通じ、韓民族はお姫様へのファンタジーを奪われて長く経つ。韓国人が大切にしまっている“お姫様”のイメージは、逆に殖民祖国のハン(恨)を全身で見せる“德惠翁主”に近い。
高宗皇帝の一人娘として生まれ、ありとあらゆる愛を独占したが、お姫様のような伝説は非植民地の皇女として政略結婚をさせられた瞬間に、幕が降りた。正気を失ってしまうほど残酷な苦痛、それだけが最後のお姫様の運命だった。
いくらか前に大韓帝国最後の皇太子イ・グ氏が日本で客死したとき、大多数の国民が見せた冷たい反応と無関心は王家に対する国民感情の現況だ。独裁者たちの王家引きずり降ろし戦略は成功した。朝鮮王朝を“李朝”と捐下した殖民史官もまだ根深く残っている。
韓国国民に本当に王家のイメージで残ったのは逆にパク・チョンヒ大統領の統治18年間だ。パク大統領は朝鮮王朝の王孫を楽善斎の“骨董品”に転落させ、自身の私生活を国民が大事に思う“王家の郷愁”に徹底的に符合させた。ユク・ヨンス女史も今も慈しみ深い国母の象徴として刻まれている。韓国国民に残った真のお姫様のイメージは、おそらくハンナラ党パク・クネ代表の少女時代ではないだろうか。
SBS水木ドラマ『ルル姫』は、果たして今の姫がいない時代に、お姫様像を再現できるのだろうか?
華麗なマネキンを思わせるような登場人物の衣装自慢、お金自慢で、失ってしまった“王家の郷愁”を復元させるという遠大な夢は、なぜか序盤から手に余るように見える。
文/キム・ウォン(文化批評家)
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