軍当局によると、小型木造船のこの漁船は9日に咸鏡北道から東海に出て、翌日に海上の南北軍事境界線にあたる北方限界線(NLL)の北側で操業していた漁船の群れと合流し、12日まで操業をしているように見せかけた。同日午後9時ごろにNLLを越え、南下した。
13日午前6時ごろ、鬱陵島の東30カイリで停止。午後8時ごろ、天候悪化により流された。その後、最短距離にある陸を目指して進み、午後9時ごろ、三陟の東2~3カイリでエンジンを止めた。15日の日の出を待って三陟港に向かい、午前6時20分に防波堤近くの埠頭(ふとう)の先端に接岸した。
同50分ごろ、散歩中の住民が警察当局に通報した。服装が変わって見える人に「どこから来たのか」と尋ねたところ、「北から来た」と答えたという。
このうち1人は「ソウルに住むおばに電話したい」と言い、携帯電話を貸してほしいと頼んだ。この時、2人が防波堤に上がっていた。
軍関係者は「4人のうち2人は最初から亡命する考えで出発したと話した」と伝えた。残り2人については「本人の意思で北に送還した」と説明した。
漁船が三陟港に向かう際、海上には警備艦艇が配備されており、哨戒機P3Cも通常通り哨戒活動を行っていた。この関係者は、漁船の識別には限界があったと話している。
韓国政府は18日、漁船に乗っていた4人のうち帰還の意向を示した2人を北朝鮮側に引き渡した。
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