1988年9月30日生まれで、現在30歳の注目俳優テジュのことをさらに深く知るべく、今回は幸福度・充実度をプラス、マイナスで示す人生グラフを本人に直接書いてもらい、ターニングポイントを振り返りながら、日本での俳優活動にかける意気込みを語ってもらった。
Q.人生グラフを見ると、まず「誕生」のところで、プラスに上がっていきますね。
この世に生まれてきたのはステキなことじゃないですか。僕、本当に“生きる”ってことが好きで、いつも、“生きている”こと自体に感謝しているので。だから、本当はもっと(幸福度が)高くてもいいんですけど、「夢を見つけた」ときの方が大きいって思って、それよりは低くしました。
Q.物心がついたのはいつですか?
3歳です。だから、3歳から(マイナスに)落ちるっていう(笑)。なんか僕、子供の頃は自分が幸せと思ったことは1回もなくて、いつも死にたいって気持ちで、ネガティブな人間でした。成人になって夢を見つけるまでは、“どうせ人生なんて、特別なことはないんじゃない?”ってずっと思っていて。だから、服も黒と白が一番好きなんですけど、そのとき自分が見ている世界は、黒と白しかなかったっていうか、色がなかったです。やりたいこともないし、すごくつまらないなって思いながら過ごしていて。だから、ゲームばかりやっていたし。
Q.一人でいることが多かったんですか?
そうですね。一人でいることが多かったし、友達がいても、そんなに心を開けない性格で、自分がネガティブっていうのがクールに見えるんじゃないかなって間違った考え方をしていました(笑)。
Q.学校では、どんな学生でしたか?
成績はいい方でしたよ。授業態度も普通だし、友達とも普通に付き合っていて。本当に“普通”の人でした(笑)。
Q.それなら、どうしてグラフの線がずっとマイナスゾーンに?
本当に何も感じられないっていうか、幸せじゃなかったから、今思うと、マイナスな時期だと思います。苦しい時期もあって、例えばいじめられたり、家族でいろいろあったり…。生きていなかったんじゃないかなっていう感覚です。逆に今、すごく幸せで、自分が生きているってことを感じられるから、その当時を思い出すと、幸せではなかったかもっていう感じですね。
Q.そのマイナスの線が、「軍隊」の前でまた少し下がりますよね。
成人になったら、自由が与えられるじゃないですか。そしたら、やりたことがないから、もっと何をしたらいいか分からなくなって。それで、本当に1年ぐらい、何もやらなかったんです。大学にもほぼ行かなくて、本当に何をしたか分からないぐらいで。だから、軍隊に入るのに、坊主になるときも何の感覚もなかったし、軍隊に入るのも、“ま、いいんじゃない?”って感じでした。それぐらい、20歳から21歳のときが、最悪な時期でしたね。
Q.軍隊に入ったのが20歳ということですね。軍隊に入って、何か変わったということはなかったですか?
太ったことですね。13~14キロぐらい太って出てきました(笑)。それまで、本当にガリガリで、51~52キロぐらいだったんですよ。食べるのも面倒くさくて、嫌だったから、本当にご飯とかを食べなくて。人生全てにおいて、欲がなかったから、食べ物への欲もなかったんです。
Q.そうすると、軍隊で規則正しい生活をして、健康的な体になったと?
甘いものがないし、自由がないから、おいしいものを食べるということが、ちょっと幸せに感じるんです。それまでは、お腹いっぱいになるのを“気持ちワルッ”っ思っていたのが、“あ~、食べるのっていいことなんだなぁ”って分かって(笑)。だから、食への興味がわいたのは軍隊の時期ですね。
Q.そして、軍隊に入っているときに、「俳優の夢を見つけた」という転機で、グラフの線が最高値に。
軍隊に入ってから、考える時間が多くて、俺ってどんな人生を送ってきたんだろうって振り返ってみたんです。そしたら、今までやりたいことが1個もなかったなって気付いて。それで、自己啓発本とかを読み始めて、その中に、自分がやりたい仕事を見つける、達成したい目標を見つける本があったんで、本に書かれている通り、自分がやりたいことをまず10個決めて、1個ずつ消していったら、最後に残ったのが“俳優”だったんです。最初は“えっ?どういうこと!? ”って戸惑いましたよ。僕、芸能界の仕事をしている人たちに否定的なことを言っていたので。でも、実はやりたかったのに、勇気がなくて、自分を騙していただけっていうのが分かって。
Q.自分が本当は何をしたいのか、本心を知ったということですね。
それで、お姉さんに電話して、演技関連の本を送ってもらったんですけど、恥ずかしくて、同じ部屋の仲間には言えないから、隠しておいて、みんなが寝ているときに、こっそり読んでいました(笑)。でも、ある日、僕が俳優になった夢を見たんです。映画で主演を務めて、映画祭で賞をとったっていうストーリーで、けっこう長い夢だったんですけど、そんな夢を見て起きたら、手がめちゃくちゃ震えて、心臓がもう爆発しそうな、ブブブブブって感じで、汗だくになりながら震えが止まらなくて。21年の人生の中で、初めて経験した感覚だったんです。それまではモノクロだった視界が、いきなり色が出てきたっていうか。その初めて感じる感情に驚いちゃって。
Q.そこまで興奮するのだから、すごくリアルな夢だったんですね。
それがきっかけで、演技をやったこともないくせに、次の日から、みんなの前で、「俺、俳優になるから」って宣言して、堂々と演技関連の本を読み始めたし、演技をやっている人も2人いたんで、その2人にもいろいろ情報を聞きました。それが、軍隊が終わる6か月前だったんですけど、その6か月間、本で演技の勉強をしながら、自分で気持ちも整理しなきゃいけないから、心理学の本とかも読んで、マインドコントロールをしていきました。それと並行して、お父さんに6か月かけて33枚の手紙を書いて、僕、全州(チョンジュ)出身なんですけど、お父さんの許可をもらって、除隊して1週間後にソウルに行って、大学試験を準備して、演劇の大学に入りました。
Q.俳優になると決める前は、ドラマや映画はよく見ていたんですか?
映画は好きでしたね。学生時代、全てに欲がなかったって言いましたけど、寝るのも嫌だったんですよ。だから、いつもテレビで、朝までやっている映画を見ていました。
Q.どんな映画が好きだったんですか?
お父さんが派手な洋画が好きだった影響もあるし、朝方やっている映画って、洋画が多かったんで、洋画をよく見ていましたね。トム・クルーズさんとか好きでしたよ(笑)。
Q.そして、人生グラフを見ると、「夢を見つけた」後に、またマイナスゾーンに下がりますね。「迷い」と書かれていますが。
俳優の道ってなかなか上手くいかないじゃないですか。夢で見た僕の姿が、26歳の11月だったんですよ。それで、26歳の11月に目標を達成するために、毎日日記みたいなものを書いていったんですけど、ちょうど僕が軍隊を出て、大学に入って、卒業する年が26歳の11月だったから、“うわっ、これは運命だ!”“絶対に行くしかない!”って。やる気に満ちていて、大学在学中も、舞台だったんですけど、毎回主役だったんですよ。だから、“俺は人生の主役なんだ”ってバカみたいな考えをしちゃって、卒業してから、現実は違ったっていうのが分かって。年齢のこと、お金のこと、家族のこととか、いろいろ現実を考えるようになって、このままでいいのかなって“迷い”が生まれたんです。今になっては、バカみたいな迷いなんですけど、その夢をずっと信じていたし、自分に対しての期待が大きかった分、いろいろ考えてしまったということです。
Q.でも、大学時代、舞台で何作も主役を演じるというのは、それはそれですごいと思いますが。
やっぱりイメージ的に、僕のキャラクターがすごく強くないのが良かったんだと思います。主役ってその人自身のキャラクターが強くなくて、どっちにもいける、波とかを作れる人を使うから。ただ運が良かっただけだと思います。それなのに、僕もずっと主役に選ばれたから、自分が最高だなって思っちゃったんですよ(笑)。今思うと、そんなちっちゃい世界で、たいしたことないじゃんって感じなんですけど。
Q.そんな“迷い”から脱出していくわけですが、何がきっかけだったんでしょうか?
縁があってアイドルグループのメンバーとして、日本で活動することになるんですが、日本に来てから、自分を応援してくれるファンができたということです。韓国にはいなかったんですよ。もちろん、家族とか、友達は応援してくれましたけど、それは元々の関係じゃないですか。ぜんぜん知らない人が、お金と時間をかけて応援してくれる、メッセージを送ってくれるっていうのが、すごい感覚でした。自分がこんなに愛されてもいいのかっていう幸せを感じて、応援してくれる人がいるっていうのが、すごく力になりましたね。
Q.日本のファンのおかげで、グラフの線はプラスへとどんどん上昇ということですね。
一度、ライブ中にファンのありがたみを感じて、泣いたことがあるんですよ。それを境に、僕自身の姿勢がすごく変わったんです。もっと一生懸命やろうっていう。結局、グループは解散することになったんですが、そのときに「また日本に来ます」ってファンの皆さんと約束をしていなかったら、たぶん今頃、韓国にいるかもしれないっていうくらい、日本のファンの存在は大きいです。ファンのおかげで、今も活動できているし、すごく感謝しています。
Q.アイドルグループ解散後、活動拠点を日本に移して、今度は俳優として本格的に活動をしようと思ったのはどうしてですか?
解散のとき、ファンのみんなに「また日本に来ます」って言ったんで、その約束を守るために、昔ライブをやっていた会場の前で、「帰って来ましたよ~」って個人配信をしようと思って、1週間だけ、一人で日本に来たんです。その最後の日、たまたま知り合いの紹介で、今のマネジャーさんと出会って、話をしていく中で、本気で俳優として頑張ってみようって。その出会いも大きかったんですけど、やっぱり一番大きかったのは、僕には日本にファンがいるっていうこと。たとえ、それが一人だとしても、日本に存在するっていうのが、すごく大きくて。そして、元々日本の文化とかも好きだったし。アニメとかゲームとかもむちゃくちゃ好きで。
Q.日本のお城とかも好きだとか。
好きですね。お城もそうだし、日本は伝統文化を大事にするじゃないですか。着物もそうだし、僕お祭りに行って、ふんどし姿でおみこしを担いでいるのを見て、“うわっ、ステキだなぁ”って思いました。そういういろんな文化があるのがいいなと思ったし、日本語ができるっていうのを生かしたいって気持ちもあったので。
Q.日本で俳優として活動することに、不安などはなかったですか?
いまだにありますよ。だって、アクセントとかイントネーションが完ぺきではないから、韓国人役ばかりだし。だからこそ、韓国人役は全部俺がやるって気持ちもあるんですけど(笑)。ま、でも、心配しても何も変わらないじゃないですか。だから、“やっちまえ”って感じで、飛び込みました(笑)。
Q.日本で、俳優をやっていて良かったなと感じるのはどんなときですか?
それは毎日です。そう思わなくても、自分に言い聞かせています(笑)。だって、寂しいときもあるし、人間だから、ミスをするときもあるし、つらいこともあるじゃないですか。でも、“お前は幸せな人生を送ってるよ”って自分に言い聞かせたら、もっと頑張れますね。
Q.メンタルは強い方ですか?
どうなんでしょうかね~。たぶん、俳優の夢を見つけたときは、誰にも負けないぐらいのメンタルだったんですけど、さすがにマイナスの時期が長かったからか、今のメンタルはちょっとガラスかな~(笑)。いや、プラスチックくらいで。プラスチックはいろんな形に変えられるじゃないですか。しかも、合成プラスチックだったら、鉄より強いのもあるし。だから、ゴムみたいに伸縮が可能なメンタルってことで(笑)。
Q.日本でさまざまな作品に出演してきたので、いろいろな出会いがあったと思いますが、特に感謝したい人はいらっしゃいますか?
今出演している連続ドラマ「奪い愛、夏」に呼んでくださった鈴木おさむさんです。
Q.「恋愛ドラマな恋がしたい」(ドラ恋)の企画・構成を担当した鈴木おさむさんが、「奪い愛、夏」の脚本を書いているとき、姜倫求役はテジュさんしかいないと当て書きをしたそうですね。
鈴木おさむさんからは、「テジュの『ドラ恋』での姿を書いた脚本だから、そのまま演じてほしい」と言われました。「ドラ恋」のときも、すごくいい台本で、いい機会を与えてくださって、そのつながりで、今度は初めての連続ドラマという大きい機会を与えてくださったので、本当に感謝の気持ちを伝えたいですね。
Q.鈴木おさむさんに、俳優として認められたということですよね。
認められたっていうか、優しくしてくださったという感じです(笑)。まだ、認めてもらったわけではないと思っていて、今以上にもっと頑張らなきゃいけないなって思っています。
Q.それ以外にも、日本に来てから、数々の作品に出演されていますが、毎回どういうステップを踏んで、役作りをしていますか?
基本的には台本に忠実に演じようと思っているので、台本が全部頭の中に入るまで、しっかり読み込んで、役作りを始めるんですが、けっこう僕の友達を使います。面白い友達とかがいるんで、その友達を観察したりしますね。実際に存在する人をモチーフにした方が、リアリティが出るなと思って。あとは、自分の中で想像して、キャラクターを作っていく感じですね。
Q.作品によって現場の雰囲気も違うと思いますが、現場では共演者とどのようにして、打ち解けていきますか?
すごく運がいいことに、どの現場でも、皆さんが本当に優しくしてくださるんですよ。皆さんの方から話しかけてくださって。韓国人が一人だから、優しくフォローした方がいいんじゃないかって気持ちなのかもしれないけど、それに甘えています(笑)。
Q.すごくチームワークが良かった、忘れられない現場というと?
チームワークがすごく良かったのは、初めて日本に来て、ミヌ(元「BOYFRIEND」)と一緒に出演した舞台「怪人二十面相」ですね。やっぱり、初めて僕の目の前で日本人が演じているから、ここは日本なんだっていう感覚もあって、すごく楽しかったです。アニメの中にいるみたいな感覚で。それにミヌもいたし、キャストみんなが本当に仲良くて、毎日がすごく楽しかったです。
Q.俳優活動のプラスになるよう、普段の生活でやっていることなどはありますか?
今だったら、役作りの一環で、筋トレに集中しています。そして、ミュージカルをやりたいから、歌の勉強をしたり、機会があれば、舞台とかミュージカルを見に行ったりもしています。特に、韓国版と日本版がある作品は、どんな違いがあるのかを確認したいなって気持ちがあるので、なるべく見に行くようにしています。
Q.毎回、作品が終わった後、自分へのご褒美として、何かすることなどはありますか?
特にないですね。普通に家で、一人でハイボールとかを飲んで、朝までゲームをするとか、一日中寝るとか。それが、僕にとってはご褒美で。でも、それって、稽古中にも休みの日があったら、ストレスがたまらないように、していたりするんで、特別なご褒美はないです。それにまだ、自分にご褒美をあげるくらいの演技をしたのかよって思うし(笑)。もし、達成感がすごくあって、自分を褒めてもいいんじゃない?ってときが来たら、ハワイに遊びに行くとか、個室の露天風呂がある温泉に行きたいです。
Q.人生グラフを見ると、日本に来てからプラスに上昇し続け、現在は「夢を見つけた」と同じ、最高値となっています。2018年、そして2019年の今現在までを振り返ると、どんな年でしたか?
2018年の僕は“卵”でした。そして、今年は“ヒヨコ”になりました。だから、これからは立派な“鶏”になって、ファンの皆さんがその鶏で“サムゲタン”を作って食べたとき、「おいしかったな」って言ってもらえるように、頑張りたいです。おいしくなりたいです(笑)。
Q.年内は舞台出演が続きますが、10月19日には今年も誕生日イベントを開催され、ご自分で書かれた脚本で一人芝居をするとか。
脚本を書いてみたいって気持ちもあったし、やっぱり誕生日会でも、ファンイベントだから、皆さんが僕の書いた脚本で一人芝居をしたら喜ぶんじゃないかなって。40分くらいの芝居を予定しています。
Q.コントレベルではなく、かなり本格的なものですね。
挑戦するならちゃんとしたものがいいんじゃないかなって。脚本を書くのは初めてですけど、だからこそ、失敗を恐れずに、自分がやりたいことをちゃんと表現しようと思って。ファンの皆さんは、僕がちゃんと努力をしたら、それを分かってくれると思うから、頑張ります!
Q.これからどんな俳優になっていきたいですか?
個人的な目標としては、上手い俳優、演技で認められる俳優になりたいです。そして、もう1つの願いとしては、僕を見た方が、ささやかな幸せを感じたり、「こんな人がいるんだぁ」とか、「あの作品にも出ていた人だよね」とか印象に残る演技をして、面白いでも何でもいいから、いい刺激を与える俳優になりたいです。
人生グラフを書いているとき、マイナスゾーンの期間があまりに長く深かったので、ちょっと心配になったが、それぐらい今が幸せなので、差をつけたかったということらしい。俳優として、本格的に日本で活動を始めてからは、幸福度はますます上昇中。脂の乗る30代に入ったテジュが、今後どんな人生グラフを描いていくのか。新人俳優のように謙虚に、「頑張ります!」と話すテジュの真剣なまなざしがとても印象的だった。
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