<b>『薯童謡(ソドンヨ)』を看過したドラマ『薯童謡』</b>

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歴史的事実を基盤に想像力を吹き込む作業こそ、歴史ドラマの醍醐味である。しかし、いつも虚構的事実や実際の史実との違いの狭間で、制作陣は綱渡りをすることがしばしばだ。

善花(ソナ)公主(=姫)は、夜ごと薯童(ソドン)と人知れず逢瀬を重ね、薯童をこっそり抱いていく、という『薯童謡』とその説話は『三国遺事』※に伝えられている。これまで学界では、この『薯童謡』説話自体は様々な説話が入り混じっているので、歴史的事実ではないという指摘が多かった。果たして“薯童”という人物が、実際に百済の武王(ムワン)かも知れないという指摘もあった。

『薯童謡』説話の通りなら、武王が即位するときの年齢は3歳だという指摘もある。よって、武王が薯童であるはずはない、ということだ。一方では武王ではなく東城王(トンソンワン)ともいう。いっそ百済ではない新羅のキム・ユシン※※の父、キム・ソヒョン(金舒玄)と、マンミョン公主の物語であるとも言われている。また、益山(イクサン)の弥勒寺の縁起(ヨンギ)説話や、馬韓(マハン)国の伝説だという説もある。

このような時、ドラマ『薯童謡』はずっと自由になれる。確定された歴史的事実から抜け出し、想像力を発揮できる余地が大きいからである。そのためか、ドラマ『薯童謡』は、最初から龍(王)の子供を生んだ一人の母親の下で、貧しい行商・薯童という『三国遺事』上の設定を早々と捨ててしまった。百済のモク・ラス博士を中心とした、最高の科学技術者集団を設定した。また彼の母親は、たいしたこともないので打ち捨ててしまった。

つまり、ドラマ『薯童謡』は、本格的に2つに焦点を当てている。ひとつは百済の隠された部分、特に科学技術分野の照明であり、もうひとつは善花と薯童のロマンスだ。このため、『薯童謡』を広めた主人公は、薯童ではなく善花公主という設定を作りだした。初盤のそのストーリーラインは立派である。

しかし、ドラマ『薯童謡』は、『薯童謡』を看過してしまった。『薯童謡』が作られ、広がっていく過程には、今日の、いわゆる口伝・バズマーケティングや感性マーケティング技法、否定性効果とルーマーの伝染効果、弱者の戦略と逆の発想、システム事故、各種心理学理論とコミュニケーションで読み解けそうな要素が大いに込められている。これは、歴史的に、数多くの人々の心と望みが込められているということである。

大衆に向けられたドラマなら、こんな点を視聴者が気持ちよく感じるよう、しっかり掻いてやるべきである。しかしドラマはこんな『薯童謡』について、看過してしまったのである。さらに『薯童謡』が広まる過程には、劇的であるにもかかわらず、全く劇的な構成もなく単純なシーンとなった。このような兆しは、ドラマ『薯童謡』が、偶然性を通して、ロマンスを謳歌しているため、すでに予見されていたものである。

いくらキダルト(Kid Adult=精神的に未熟な大人のこと)が大衆文化の商品化の特色であるとはいえ、幼い頃の善花公主と薯童の出会いを、宮殿の中での偶然としてつなげたのは多少無理があったのではないだろうか。なぜ、ドラマ『薯童謡』は、薯童が善花公主を宮殿の外におびき出すため、歌を広めた部分を描くことをあきらめたのだろうか。

それはシンデレラ・マンを設定したドラマという指摘を避けるためかもしれない。身分上昇を狙う男性型人物になってはいけないからである。より根本的には、薯童という人物は戦略を使うことも出来ない優しい人であるべきだからである。野望の大きい人物に描いてはいけない。善花公主を得るために緻密な戦略を立てる薯童は、美しいロマンスに傷をつけるものと判断しただろう。

それで、幼い頃偶然会った薯童を忘れられない善花公主、彼女が薯童に会うため、2人だけが知っている『薯童謡』を広め、それをチャンスとして薯童に会おうとしている、という設定を使ったように見える。幼い頃の偶然の出会いを通した2人の自然な交感で、“薯童謡ロマンス”を作り上げようとしているのだ。しかし、下手すれば偶然と飛躍ばかりになりかねないロマンスは、『薯童謡』を包んでいる大衆心理の投影をおろそかにしてしまう可能性もある。

しかも、『チャングム』で見せた、母の恨みの心理が、ドラマ『薯童謡』では不幸にも形成されないまま、ストーリー本編に入ってしまった。いや、『薯童謡』には、王になって何かを成し遂げるという悲願・目標がない。

母親の死に対する敵討ちは単純でしかなく、彼の即位後の課題を語るものではない。これは、吸引力の低下を示すものである。“チャングム”の歩みは、単に母親の悔やんでも悔やみきれない死の恨みを晴らそうとするものではなかった。

最高尚宮(サングン・李朝の女官名)の職位を超え、宮廷料理という課題があった。いっそ、薯童が善花公主に、自分の恨みを晴らす計画を打ち明け、それを進めていくところに交感し、愛を育んでいった方が良かったかもしれない。

また、多くの人々は、長い間代々伝えられてきた『薯童謡』自体の説話を通して見てみたいとも思っている。弱者である貧しい青年・薯童が、善花公主と恋に落ちることは可能なのか。そして、新羅ではなく百済の王になることができたのだろうか。それを解き明かすのは、紀伝体小説でもないし、偶然の重なりでもないだろう。

なにより、戦略自体が悪いわけではない。悪い戦略というものがそうなのである。もちろんドラマの展開は全的に制作陣の創作の自由が保障されるべきである。

※『三國遺事』:高麗の忠烈(チュンリョル)王の時、僧侶・一然(イリョン)が書いたとされる歴史書。新羅(シルラ)・百済(ペクチェ)・高麗(コリョ)の史跡および神話・伝説・詩歌などが豊富に収録されている。『三國史記』と共に、韓国最古の史書。
※※キム・ユシン(金庾信):新羅に帰順した加耶(カヤ)王室の子孫で、唐と共に百済と高句麗を新羅から追い出し、征伐し、三国全体を支配しようとした唐までも撃退した。

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