「約束」や「社会契約」に基づく欧米や日本の「法の支配」による法治とは違う形で、アジアの「専制支配」に基づく法治が残っている事だ。それらによる歴史的な経緯や経験、また急速な民主化の経緯なども指摘されている。
現在の韓国において、こうした司法や法に対する信頼性を「更に」損ねているものがある。それは頻繁かつ大量に実施される「恩赦・特赦」だ。特に政治家、財閥一族と言った“上流国民”については、「有銭無罪、無銭有罪」の如く「政治的な圧力」や「前官礼遇」が存在する。
また折良く、対立政党が政権を担当している際に有罪判決が下されても、政権交代に伴って「同志」らが「恩赦・特赦」を勝ち取ってくれる。こうした事の繰り返しが、司法や法に対する信頼性を「更に」損ねているのは言うまでもない。
実際、2016年にジャーナリストの辺真一氏がまとめたものによると、韓国は1992年の文民統治・民主化以降だけを見ても、ビックリするほどの数字を見せている。
文民統治の時代を切り開いた当事者であり、「反日大統領」としても有名なキム・ヨンサム(金泳三)政権が9回704万人、キム・デジュン(金大中)政権が6回1037万人、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権が8回437万人、イ・ミョンバク(李明博)政権が7回470万人、パク・クネ(朴槿恵)政権が3回655万人を「恩赦・特赦」を実施して赦免している。
約24年間で計33回、その対象者数は延べ3303万人に達するという。韓国国民の約6割に相当する人数である。
また、大統領選挙の公約として賄賂、背任、横領等の所謂「上流国民」らの犯罪には赦免権を制限するとしたムン・ジェイン(文在寅)政権だが、2019年12月30日、5174人に対して行われた特赦には自派の政治関係者も数多く含まれていた。
「上流国民」らの犯罪への「恩赦・特赦」の代わり、数多くの一般国民、就中、「生計型犯罪」への「恩赦・特赦」もまた、司法や法に対する信頼性を「更に」損ねていると指摘されている事だ。
生計型犯罪とは、経済的に困難な人々が生計の為に(已むに已まれず)犯してしまった情状酌量の余地が多大な犯罪の事を意味する。例えば配達やバス・タクシーの運転手らの速度違反、交通事故、駐車違反等、またホームレスや貧困者による無銭飲食、万引、置き引き等が該当する。
韓国ニュースで見られる実例もたくさんある。紛失された財布の中にあったクレジットカードを不正利用したホームレスがいた。持ち主が見つけて警察に突き出したものの、ホームレスのようだから捕まえられないと警官が逮捕を拒否したという事件があった。対照的に、経済弱者の犯罪が裁判で厳罰されたとのニュース記事には、日本では想像も出来ないほど非難のコメントが付いたりする。
こうした対応の背景には、どうせ生計型犯罪なのだから恩赦・特赦されてしまうだろうから、面倒な手続きをして送検までしても無意味なのだと言う諦念が蔓延していることだろう。また、経済弱者に対する同情が「正義」や「道徳」として存在していることだろう。その結果、日本では韓国社会を「法治国家」ではなく、「放置国家」や「情治国家」と皮肉るまでになった。
法家的な「法治」の下では犯罪というものが、絶対的な基準や原則、また裁判・運用で定められたものではないという感覚がある。故にあまり「恩赦・特赦」に対する批判は法律の専門家を除くと聞こえて来ないのが韓国社会の「正義」や「道徳」である。
延べ人数とはいえ、約3300万人ものその他の犯罪、就中、「弱者」や「生計型犯罪」への「恩赦・特赦」は司法の信頼以前に、法の機能を損なわしめている。しかし、それが前近代の「王道政治」を引き継ぐ「大統領の徳治」とほぼ同じく解釈されるのが今の韓国の現実である。
ちなみに韓国の国会議員は、期数によるものの、2~6割が前科前歴の持ち主で、中には殺人未遂、20犯近い累犯者も含まれていた。勿論、1980年代までの民主化運動への参加による政治事犯も少なくないのだが、詳細を事細かに検証すると、詐欺・横領といった経済事犯も少なくない。
謂わば「法律を違反した者に法律を作らせる」といった喩えが実現しているのが韓国の国会である。現状を見ると、韓国は法に対する不信感を「更に」深めていくと予想される。法に対する不信感は、約束や契約の価値に対する不信感になる。その不信感が国境を超えると国際法や国際条約に対する不信感になり、それが今、日韓の外交問題に飛び火している。
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