百済金銅観音菩薩立像は、1907年に忠清南道扶余郡の寺跡で2点が発見された。1点は国宝第293号に指定され、国立扶余博物館が所蔵しているが、もう1点は当時大邱に住んでいた医師で古美術品収集家の市田次郎の手に渡り、日本に持ち出された。
この仏像は「百済微笑菩薩」との別名を持ち、さまざまな経路で日本に渡った仏像のうち来歴や所蔵者が分かっている唯一の仏像だ。
7世紀に作られた仏像の中でも卓越した造形美を持つとされ、国宝に指定されたもう1点より繊細で洗練された美しさがさらに際立っているとも評価される。
曹渓宗は「民族の歴史の浮き沈みによって故国を離れ、海外にある大切な文化遺産を本来の場所に戻すことは、民族のアイデンティティーを確立し、未来の世代のための歴史・伝統教育を行うために必要だ」と強調した。
また、政府が予算不足などの理由で返還のために努力しない場合、重要な文化遺産が転売され、民族の元に戻ることがさらに難しくなると懸念を示した。
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