「百済金銅観音菩薩立像」(画像提供:wowkorea)
「百済金銅観音菩薩立像」(画像提供:wowkorea)
日本国内よりは海外でもっと有名な日本人もいる。先日、韓国で活動するタレントのサユリ(藤田小百合)氏が結婚せず、精子バンクを通じて妊娠・出産したことは日本より韓国で大きなニュースになった。大勢の韓国芸能人から、韓国のファンから、お祝いの洗礼を受けている。

 古美術の分野でも日本より韓国で有名な日本人がいる。故 市田次郎 氏である。古美術作品の収集家として有名だが、本業は医師であった。

 今、韓国では7世紀半ばに製作され、日本で保管されていた「百済金銅観音菩薩立像」の”帰国運動”または”返還運動”または”還収運動”が起きている。百済時代の仏教遺物の中で、最高の傑作として評価されている遺物である。

 日本の半島統治時代が公式的に始まる直前の1907年、半島中部の百済首都の跡地プヨ(扶余)ギュアムミョン(窺岩面)のお寺の跡から農夫により2体の仏像が発見された。発見当時、鉄の釜の中に入っていた事を考慮すると、14世紀以降の朝鮮時代に仏教弾圧の課程で埋められたと推測された。

 当時、仏像は競売にかけられ、2体ともに日本人が購入した。高さが21.1cmの1体は終戦直後、日本への搬出直前に「押収」された。その後、韓国の国宝「第293号」に指定された。現在は韓国の「国立扶余博物館」に所蔵されている。

 高さ26.5cmのもう1体はテグ(大邱)の病院で医師として活躍していた日本人収集家に渡った。その医師が市田次郎氏であり、仏像は1922年に半島から日本に搬出された。

 韓国の学界にはこの仏像の白黒写真だけが伝わり、幻の「百済の微笑み」とされていた。同時に出土したもう1体の「国宝第293号」よりも「繊細・洗練」されていると評価され、仏像芸術作品として”最高峰”だと評価されていた。その行方に関しては、白黒写真の下に書いてあった「市田次郎氏蔵」の文字が唯一の手がかりだった。

 半島を去ったこの仏像「百済金銅観音菩薩立像」は、ほぼ100年ぶりの3年前、ついに日本でその存在が確認された。市田次郎氏の死後、家族からこれを入手したと見られる所蔵者が現れたのだ。韓国では早速「返還運動」が起きた。

 現在、韓国の国立中央博物館と文化財庁は、この仏像の価値を42億ウォン(約4億円)と評価し、日本の所蔵者に買入を申し出ている。これに対して所蔵者は約150億ウォン(約14億円)の金額を提示しているそうだ。

 100年以上、この仏像を綺麗に保存してくれた市田次郎氏や家族の方々や今の所蔵者には感謝すべきである。しかし、韓国の「返還運動」の中では、日本の関係者をまるで「略奪者」のように扱う傾向も見られる。韓国みずからが祖先の遺物に関してあまり管理・保存が出来なかった時代、日本人学者や収集家が大きな役割をしてくれたことを考えると、大変失礼なことであり、「被害意識」である。

 韓国学生の修学旅行先として最も有名なキョンジュ(慶州)。新羅の首都であり、その中でも「石窟庵」は韓国の国宝「第24号」であり、ユネスコ世界遺産にも指定されている。韓国人の自慢の遺物であるが、これも朝鮮時代の以降、「崇儒抑仏」の政策により、廃墟となっていた。1909年以降、日本の半島統治時代に3回も復旧工事が行われた。これを保守・保存したのは当時の日本国民の税金であった。

 ただ、完璧な復旧までは難しく、本来の場所が分からない石材が今も近くに残っている。これだけを見て、「反日」教育しか受けていない韓国の若者は、「日本の保守が間違えていて、復旧が難しくなった」と文句を言う。韓国と日本共通のコトワザとしては「恩を仇で返す」である。

 数年前、日本の対馬で盗難にあって仏像が韓国に渡った。その後、前までは度々日本から韓国に移動されて展示されていた半島由来の遺物の姿が見られなくなった。これも日本と韓国の共通の言葉「小貪大失」であろう。

 日韓の間、もっと洗練された形で「文化財の問題」が解決される日は来るのか。少なくとも「百済」に関しては、日本も「相続者」である。韓国式の考え方だとしてもだ。
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