かつて社民党の前身であった「日本社会党」は「共産党」と共に国会議員の三分の一を超える「保革伯仲」と称される程の勢いが有った。しかし、冷戦の終結と共に、また自民党と連立を組んだ村山内閣成立時の党是の大幅見直し等を通して党勢を落していた。
「村山談話」は韓国と日本との関係に大きな影響をもたらした経緯もある。今後の日本の社会主義政党の行方が注目される。
ここで考えたいのは何故日本には「社会党」と「共産党」の二つが左派・進歩派・革新派が存在したのかと言う事だ。冗談半分、無知半分で「共産性の違い」で内ゲバ(内部ゲバルト)して、仲良く出来なかったからと言う、日本のネット書き込みを見た事がある。
韓国や日本のアイドル音楽グループの解散の際にも口実として多用される「音楽性の違い」に掛けたものだろうが、あながち間違いでもないなと感じた。
1920年代後半から1930年代にかけて「日本資本主義発達史論争」と言うものがあった。明治維新の定義とそれに基づく運動方針を巡って、社会主義者らが講座派(後の共産党)と労農派(後の社会党、厳密には左派社会党)とに分裂した。これが、日本の左派として社会党と共産党の二つが生まれた、また存在しているきっかけである。
実は韓国においても、左派・進歩派には二つの派閥・系統が存在していることは、日本には余り知られていないようだ。近現代史観とそれに基づく運動方針を巡って分かれている。
一つは民族解放派(NL:National Liberation)で、別名「自主派」や「主体思想派」である。他方が「民衆民主派」(PD:People’s Democracy)で、別名「人民民主派」だ。
昨今の韓国の左派・進歩派・革新系の政党・政治勢力の起源として存在するのはこの二つである。2つの勢力は共に1970年代のパク・ジョンヒ(朴正熙)政権の第四共和政(維新独裁)への抵抗過程で成長した。
冷戦の時代、米国や日本の「最前線」国家として役割に充実していた韓国。「反日」は考える暇もなく「反共」を重視した韓国において、朴正熙政権・維新独裁への反発から社会主義・共産主義とは、親北・従北的な傾向、即ち北朝鮮を「同じ民族」で独裁と戦うための「味方」と看做す傾向があった。民族解放派(NL派)の成長背景だ。
また、1970年、劣悪な労働現実に抗議し焼身自殺したチョン・テイル(全泰壱)氏のように、経済発展のみを追求した「開発独裁」に抗議した勢力もあった。社会経済問題、就中、労働者を始めとした社会的弱者救済と平等・格差解消を主張する社会運動は、「民衆民主派」(PD派)として成長していく。
日本資本主義発達史論争が1920~1930年代に日本の左派の分裂を招き、二つの左派政党を生み出した如く、韓国では近現代史の歴史認識を巡る思想書『解放前後史の認識』(全6巻、1979~89年)が登場した。そして、1980年代末以降「親北・従北的な傾向」と「弱者救済と平等志向な傾向」とが分裂したきっかけとなった。
これに特に影響を受けたのが韓国の「386世代」だ。皮肉にも米国インテル社のコンピューター中央処理装置(CPU)の名前から由来した名前だ。これは1990年代に流行った表現だが、当時「30代」であり、「80年代」に大学生活を送った、「60年代」に生まれの世代と言う意味だ。現在は50歳以上になっていて、少しバージョンアップした「586世代」と言われる。
ちなみに1980年代に労働問題を中心とする社会問題にかかわり、人権派弁護士として活動を始めた元大統領の故ノ・ムヒョン(盧武鉉)氏と親友で現大統領のムン・ジェイン(文在寅)の両氏も、この本『解放前後史の認識』に大いに影響を受けたと告白していた。
なお日本では、日本人拉致問題の支援者として有名な西岡勉氏等も『解放前後史の認識』を巡る問題を指摘して来たが、これは以下のような韓国の近現代史観を提示した。
(1)1945年の解放は日本の敗戦と言う、民族が自力でなし得た自律的なものでなく、他律的なものであった。
(2)他律的なものであったが故に、日本から米国へと乗り換えた反民族的な事大主義者ら(親日派・親米派)が売国行為を犯して、大韓民国成立や朝鮮戦争等を引き起こし、南北分断にまで至らしめた。
(3)親日派・親米派による反民族売国行為は、富める者・持てる者の為に独裁と腐敗、貧富の格差等の社会経済を一層深刻化させた。
(4)独立運動や抵抗の主力は社会主義・共産主義系の左派が担ったし、多くの人民も支持したものの、外国勢力(日米)を背景とした親日派・親米派による反民族売国行為によって抑圧されてしまった。
この民族主義的で親左派(親北)的な近現代史観に心酔したのが、民族解放派(NL派)であり、別名で「主体思想派」と呼ばれる通り、北朝鮮、就中、キム・イルソン(金日成)ら日本の半島統治時期に日本に対するパルチザン派こそ真に民族の為の自主的な独立運動や抵抗の主力であったと確信したのだ。
故に大韓民国の成立は「間違い」であり、北朝鮮・朝鮮労働党の示す「主体思想」等こそ、自主的・主体的な民族の指針となるべきだとしたのだ。
一方で、こうした『解放前後史の認識』の歴史観に影響されつつも、むしろ純粋に南北共に許されざる独裁だと看做して、反独裁と「弱者救済と平等」を訴えたのが「民衆民主派」(PD派)だ。純粋にマルクス主義の実現を訴えるものだ。
但し、独立運動や抵抗の主力が社会主義・共産主義系の左派、就中、金日成・朝鮮労働党の系譜であると言う点については、劣等感を抱く程だ。従って反独裁を叫びつつ、親北ではないものの宥和的姿勢を示す者も少なくない。
ちなみに韓国の左派・進歩派・革新系では1990年代の民主化以降、民族解放派(NL派)が多数派となり、主導権を掌握していた。革新系のキム・デジュン(金大中)政権、ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権、ムン・ジェイン(文在寅)政権が北朝鮮との関係に拘ってきたことでも、その思想的な背景が分かる。
『解放前後史の認識』の提示した近現代史観とそれに基づく運動方針が、韓国の左派・進歩派・革新系に多かれ、少なかれ影響を与えているのは認めざるを得ない事実である。
そして「日本資本主義発達史論争」から50年程の時差で、日本と同じ分化過程を経てきた韓国左派。「反日」思想が基盤になっている勢力の歴史をみると、その未来は予想外に今の日本で見つかるかもしれない。
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