練習生時代のお父さんとのエピソードを語るV。(画像:画面キャプチャ)
練習生時代のお父さんとのエピソードを語るV。(画像:画面キャプチャ)
BTS(防弾少年団)」の出演で大反響を呼んだ3月24日(水)放送の「ユ・クイズ ON THE BLOCK」(tvN)第99話「BTS」編。前半の大爆笑連発だったクイズパートに続き、後半はインタビューパートでメンバーたちが3組に分かれ、真剣な表情で本音を語った。

BTS(防弾少年団) の最新ニュースまとめ

最初に登場したのは、2011年9月に初めて会ったというRMとV。RMは当時坊主だったVを見て、言うことを聞かなそうだなと思い、VはRMを見て芸能人に会ったような気分だったと第一印象を明かし、練習生時代の思い出から振り返った。

ダイエットをしなきゃいけないのに、こっそりトンカツを食べに行った後、デザートとしてアイスを食べながら歩いていたら、向こうからマネジャーが来たので、とっさにそのアイスをポケットに入れたという2人。考えることが同じだったのだそうだ。うまくその場をやり過ごし、マネジャーが行った後、そのアイスをポケットから取り出し、「まだ食べられるよね?」とまた食べたと笑いながら話し、当時を懐かしんだ。

また、リーダーという立場上、メンバーたちの嫌がる小言が多いというRMが、活動が始まる頃になり、「そろそろ管理しよう」と言うと、それに対し、「大変だけど?」とRMをわざと困らせる(?)ようにしていたのがVだったとか。

天真爛漫で無邪気なVだが、寮生活でつらかったのは家族とあまり会えなかったことだという。当時、巨済島にいた両親が往復12時間をかけ、たった30分会うためだけにソウルに来てくれて、バナナ牛乳やパンなどをメンバーたちと一緒に食べなさいと持たせてくれたと語り始めたV。だから、一緒に遊んでお父さんが帰るとき、すごく悲しくなり、幼心に泣いたりもしたとか。

さらに、練習生生活がとてもつらかったので、「もうやめたい」と泣きながら電話をしたら、お父さんが「つらかったら、やめてもいい。他にも仕事はたくさんあるから、探してみよう」と言ってくれたのだそう。それに返す言葉もなかったVは、「もうやめたい」と切り出した自分を恥ずかしいと思ったという。振り返ってみると、そのときのお父さんの言葉はとても感動だったとし、お父さんに似ているというVは、性格も似たいというぐらいお父さんを尊敬しているのが言葉の端々からにじみ出ていた。

そして、RMが、そんなVのお父さんがメンバーたちに言った言葉、「クムシラコ」(「それがなんだ?たいしたことはない」という意味の慶尚道の方言)を長い間スローガンのようにしていたというエピソードも披露した。

続いてのインタビューはJ-HOPE、JIMIN、JUNG KOOK。2011年6月4日に練習生生活を始めたJUNG KOOKは末っ子だから、寮ではメンバーたちが寝てから、シャワーを浴びていたし、動くたびにベッドがきしむので、音を出さないように、ナマケモノのように動いていたそうだ。

JIMINはグループの中で、最後に合流したメンバー。J-HOPEが釜山からやって来たJIMINを新沙駅のバス停に迎えに行ったのが、2人の初めての出会いだったという。2人ともダンスという共通点があったので、J-HOPEがJIMINに「たくさん交流しよう」と言ったのに、その後6か月間、まったく交流がなかったらしい(笑)。

メンバー同士のいまだから笑って話せるケンカエピソードも飛び出した。まず、J-HOPEvs JUNG KOOK。デビュー当時、JUNG KOOK がARMY(BTSのファンの呼称)からフルーツセットをもらったが、それをメンバーたちが無断で食べていたので、JUNG KOOKが「誰が食べたんですか?僕のバナナはどこですか?もう食べないでください」と怒ったら、J-HOPEが逆ギレし、食べてかけていたバナナをいきなり投げつけたという。いま思うと申し訳ないと反省するJ-HOPEだった。

同じ年のJIMINとVは些細なケンカが多かったという。J-HOPE、V、JIMINがルームメイト時代、部屋には2段ベッドとシングルベッドがあり、シングルベッドは年上のJ-HOPEが、VとJIMINは2段ベッドを使用。そこで、JIMINはラクな下のベッドをVに譲ったが、上はエアコンの風が直撃してくる場所だったので我慢できず、半年後、下に行きたいとVに言ったら、「お前は自分から上に行ったんだろ?」と返され、ケンカになったという。いま思うとたいしたことではないのに、とやはり笑って話すJIMINだった。

そして、練習生時代、すごくつらくて光州の実家に帰ろうとバスターミナルに行ったJ-HOPEをJUNG KOOKが泣きながら引き止めたことや、JIMINも一度つらくて、寂しくて両親の前で泣いたこと、JUNG KOOKも練習生になってから数か月後、お母さんに会いたくて、コンビニでカップラーメンを食べながら泣いたというエピソードも。

JUNG KOOKは他のグループのメインボーカルを見て、歌もダンスも上手く、カッコいいのに、自分は何なのだろう、このグループのメインボーカルでいいのだろうかという葛藤を経て、もっと成長したいと思い、練習に没頭。練習時間という概念をなくし、車でもトイレでも、シャワーをしているときでも、24時間歌える時間は、全てを練習時間に変えたという。“黄金マンネ”を生み出したのは絶え間ない努力だったということだ。

そんなJUNG KOOKから見て、一番自分に厳しく、一生懸命頑張る人がJIMINなのだとか。JIMINはVやJUNG KOOKがボーカルレッスンを受けているとき、それを見学し、そこで聞いた内容を一人で深夜に練習していたという。朝4時まで練習し、6時半には起床。ほとんど寝ていなかったが、つらくはなかったとJIMIN。“練習しよう”、“耐えよう”、“チームに入りたい”、そういう感情を持たせてくれたのがメンバーだったと語った。

最後はJINとSUGAだ。グループではお兄さんラインだが、実生活ではJINは2歳上、SUGAは4歳上のお兄さんがいて、学生時代は嫌いな存在だったという兄弟話からスタートした。

そして、俳優になりたくて、建国大学の演劇映画科に通っていたJINが、「登校中、バスから降りたら、僕が遠くから見てもイケメンじゃないですか(笑)。キャスティングチームのスタッフから、“あなたみたいな顔は初めて見た”“ぜひうちの会社のオーディションを受けてほしい”と言われた」と事務所からスカウトされた話をユーモアたっぷりに。

また、この2人はJINが“解散”、SUGAが“肩の手術”というファンが気になる話題についても包み隠さず打ち明けた。JINが2018年「MAMA」での大賞受賞スピーチで、解散も考えたという衝撃告白をしたが、そのことでメンバーたちからは怒られたという。当時、すごくつらくて、そのときの記憶が蘇ったので話したことらしいが、それを乗り越え、いまこうしてやっていることに感謝しているし、良かったとメンバーたちに話したと明かした。

SUGAの肩の損傷はデビュー前、配達のアルバイト中に起きた事故が原因。事務所が、自分たちに投資するお金もほとんどない状況だったので、何かしなきゃと思い、始めたのがコンビニ、配達、作曲のレッスンといったアルバイトだったという。雨の日の配達で事故に遭い、肩が外れてじん帯を損傷したが、その状態で注射を打ちながら、8年活動したので、腕が上がらなくなり、手術にいたったということだ。グループのために始めたアルバイトで、負ってしまった負傷だったのだ。

そんなSUGAは、自分の言ったこと(予言)が現実になるため、“ミンストラダムス”と呼ばれるが、次なる予言について、グラミー賞について触れ、来年、再来年でなくとも、これから長くアーティスト活動をしていこうと思っているので、その中で受賞できたらと意欲を見せた。

今回、それぞれの人柄が改めて分かるようなインタビューだったが、共通質問での答えもそれぞれ個性が出ていた。「自分の人生を本に書くとしたら、その書き出しは?」に対し、7人の答えはこうだった。「僕は“カメレオン”だ(V)」、「人生において、予測というものはいつも外れるものだ(RM)」、「僕を導いてくれた人たちへ(J-HOPE)」、「皆さんはどんな人生を生きたいですか?(JIMIN)」、「こんにちは(JUNG KOOK)」、「ワールドワイドクラス、やばかった(JIN)」、「一生懸命よく生きた(SUGA)」。いつかこんな書き出しの彼らの自叙伝が出るかもしれない。

Copyrights(C)wowkorea.jp 6