会長と言う重責を担う人物の素養を疑わせるくだりだ。素養が無い事より、もっと大きな問題はこの人物の思考だ。「ソ連軍は解放軍、米軍は占領軍」と言う歪んだ自分の考えを公然と語って回った。思考がこの程度であるから、6・25(朝鮮戦争)時に大活躍したマッカーサーを貶めるのも異常なことではない。「ソ連軍は解放軍、米軍は占領軍」と言う光復会長の主張は北朝鮮政権が主張する内容と異なるものが無い。
今回の件を契機として、日帝時代に独立運動したという人々を再調査する必要があるようだ。当時の活動目的が本当に純粋な「朝鮮の独立」であったのか、そうでなければ、今日の北朝鮮政権が志向する「暴力革命」や「階級闘争」であったのか、明らかに区分すべきようだ。実際に再調査してみれば、「独立運動家」だと言うよりは、「共産革命主義者」ないし「熱狂的な社会主義者」の側に分類して初めて適切なケースが少なくないだろう。
社会主義急進左派組織(義烈団)所属の「ナ・ソクジュ(羅錫疇)」は1926年12月28日に銃と爆弾で武装した状態で民間人が勤務する朝鮮殖産銀行と東洋拓殖の建物に向かって無差別攻撃を試みた。羅錫疇は午後2時頃、朝鮮殖産銀行の建物の中に爆弾を投げ込んだ。爆弾は不発弾となった。
その後、羅錫疇は東洋拓殖の建物を攻撃するために移動しながら、警察など、日本人7人を殺したと判明した。警察以外の日本人は民間人であった可能性が高い。東洋拓殖の建物に投げ込んだ爆弾もまた不発弾となり、羅錫疇は警察に銃撃されるや否や、自殺したものとされている。
万が一、羅錫疇が投げ込んだ爆弾が不発弾とならなかったとしたら、無辜な相当数の民間人が生命を失う状況が発生しただろう。そしてその民間人の中には韓国人も含まれただろう。であれば果たしてこのようなやり方を純粋な独立運動だと認めてやれるのか?階級闘争理論に傾倒した急進左派の武装暴力革命活動として分類して初めて適切なものでないか?少なくとも、無辜な民間人の生命を些細なものと考えるのは純粋な独立運動ではない。
このような羅錫疇の活動は今日「独立運動」と見なされ、建国勲章の追叙(死後の叙勲)までなされ、銅像まで建てられた。今日「独立運動」だと認めてやるケースをその活動目的に従って区分してみれば、大体三つに整理されるようだ。
(1)共産革命の為の武装暴力活動
(2)旧王朝の復活(旧既得権の回復)の為の活動
(3)純粋な目的の独立活動
この内の一番目と二番目の場合は「純粋な独立運動」だと認めがたいだろう。羅錫疇の場合は一番目のケースで、そのような革命活動が韓半島で万が一、成功したとしたら、今頃、全ての韓国人は共産党政権の統治下で苦しみうめいている可能性が濃厚だ。
そして二番目のケースが万が一、成功していたとしたら、今頃、韓国人は中東のイスラム国家のような閉鎖社会、もしくはカースト制度が依然として力を発揮するインドのような水準で生きている可能性が濃厚だ。
加えて「独立運動」を大義名分として掲げていたが、実際には満州地域などで善良な住民らを恐喝・脅迫して金品を脅し取るなど、事実上、主として馬賊稼業に専念した場合があるとしたら、そのような活動については事実そのままに再評価すべきだろう。
「独立運動家」として礼遇を受ける資格のある者が、今日それに適した処遇を受けられないのも非正常だが、礼遇を受けるのに不適切な者が今日「独立運動家」として化けて過分な処遇を受けているのも非正常だ。独立運動だと言って無条件に聖域にしてはいけない。
※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。
Copyrights(C)wowkorea.jp 6