(画像提供:wowkorea)
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韓国メディアによる日本関連報道はプロパガンダに当たる場合が多い。特に過去の歴史関連がそうだ。

関東大震災のケースもこれに該当する。関東大震災は1923年9月1日に発生した。従って9月1日を近く控えた現在は、韓国メディアが関東大震災に関する歪曲・捏造報道を大放出するシーズンに当たる。

8月27日の聯合ニュースは日本の東京新聞を引用して小池百合子東京都知事が所謂「朝鮮人虐殺慰霊行事」に用いる追悼文の作成を拒否したことについて批判の声が出て来ているという風に報道した。

ところが、その批判の声を出す主体が日本国民なのか、でなければ日本国内の左派もしくは共産主義勢力なのか、でなければ朝鮮総連メンバーなのか、明確に報道しなかった。経験上、このような場合、声を上げる主人公は日本国内の少数の左派や朝鮮総連関係者たちだ。KBSなど、地上波放送もまた東京都知事の追悼文拒否を非難した。

ところで、日本国内の北朝鮮関連団体(日朝協会)が主管する関東大震災に関する政治性を帯びた行事に東京都知事が追悼文を送らねばならない理由はない。更に行事会場には「誤った策動と流言飛語の為に6000人を超える朝鮮人の尊い生命が奪われた」と言う内容の石碑が建立されている。

東京都知事はこの石碑の内容が客観的事実とかけ離れているものだと判断して、追悼文を拒絶した可能性が高い。加えて行事を主管する北朝鮮関連団体(日朝協会)に対する拒否感もまた大きく作用しえる。

そもそも、追悼文を送ろうが送るまいが、判断は知事の自由だ。他国の知事の意思決定について、韓国メディアがああしろこうしろと干渉するのは出過ぎたマネだ。2015年に安倍首相(当時)による米国議会での演説についても、あれほど事前の妨害工作を展開して、その後に安倍首相の演説内容が気に喰わなかったという理由で与野党の国会議員らが「安倍首相糾弾の決議案」まで通過させた韓国だ。

余計なお世話は国家の品格を下げる。100年前の過去の出来事を以て、相変わらず隣国の首相や都知事が韓国に向かって随時頭を深く下げるべきだという風に考える韓国人が多い。出過ぎた願望だ。日本は韓国に謝罪して頭を深く下げるために存在する国ではない。

8月27日の聯合ニュースは記事で「関東大震災時の虐殺は…在日朝鮮人と中国人、日本人社会主義者などが多数殺害された事件だ…朝鮮人に対する敵対感が高まる渦中で、日本人自警団、警察、軍人が虐殺を主導した」と記した。聯合ニュースの外、他の媒体も日本の警察と軍人が虐殺を主導したという風に報道するケースがあった。しかし、これは明白な捏造だ。当時の日本の警察と軍人はむしろ自警団から朝鮮人と中国人を保護する役割を果たした。

例えば当時の神奈川県の鶴見警察署長の大川常吉氏(1877~1940年)は自警団の攻撃から朝鮮人230人余りと中国人70人余りを1週間、食糧まで提供して保護した。その後、横浜に駐屯していた海軍に300人余りの全員を引き渡し、事態が鎮静化されるまで安全に過ごせるように措置した。

この時、保護されていた朝鮮人の内、225名は6か月後の1924年2月15日に感謝の表れとして大川署長に韓国語で作成された感謝状を渡すまでした。韓国日報の6月4日「『魂の殺人ヘイトスピーチ、止めよう』在日同胞の作家の訴え」と言うタイトルの記事にはこのような部分が出て来る。

「大正時代に日本に来た私の祖父は、関東大震災で危うく自警団によって殺害される所だった。警察に保護されて命拾いした」

韓国メディアが日本の警察と軍人をしきりに引っ張り出そうとするのは、関東大震災の件をまた大きくして「慰安婦」と「徴用」のケースの如く、日本政府の責任として問うていこうとする不純な魂胆の為であるようだ。

加えて聯合ニュースは独立記念館側から提供したという写真を記事に添付した。「関東大震災時の虐殺によって犠牲となった朝鮮人の死体」と言う説明の付いた写真なのだが、川岸を背景に人々の死体が幾重にも積まれている有様だ。

ところがこの写真の中の死体が朝鮮人であるという証拠はどこにもない。当時の震災によって10万人の死亡者が発生した。写真の中の死体が、震災による死亡者なのか、でなければ自警団による犠牲者なのか、全く分からない。更に自警団による犠牲者だと仮定しても、それが日本の社会主義者たちの死体なのか、中国人の死体なのか、朝鮮人の死体なのか、でなければそれらが混じっているものなのか、分からない。

関東大震災時の自警団による犯罪を象徴する有名な資料として、二人の男性が棒切れもしくは槍を持って、犠牲者に見える地面の死体を見下ろす写真もまた同様だ。その写真が本当に関東大震災時の写真として確認されたのか疑問だ。具体的に何時、何処で、どんな状況で撮影されたものなのか、きちんとした説明を発見できない。

8月24日のファイナンシャルニュースによる関東大震災関連記事には「2013年に公開された関東大震災当時の朝鮮人虐殺を推定させる写真。ソ・ギョンドク(徐坰徳)教授提供」と言う説明が付いた写真が添付された。

空地のような場所に死体がずらりと置かれた有様を撮影した写真だ。ところが写真の上段に「大正12年9月1日」だと明らかに書き記されている。すなわち「1923年9月1日」だとなっているのだ。

関東大震災は1923年9月1日午前11時58分32秒に始まり、地域によって、短い所で4分間、長い所で10分間続いた。震災当日には全ての人々が他のことを考える暇も無く茫然自失に陥るほかない有様となった。自警団が組織され始めたのは震災が発生した翌日(9月2日)からだった。

一言で言って、9月1日に撮影されたこの写真の中の死体は自警団による犯罪とは何ら関係もないものだと結論が出る。写真の中の死体は震災当日に犠牲となった10万人の内の一部だという話だ。

更にこの写真を提供した人物は既に軍艦島に関して虚偽写真をニューヨークのど真ん中で広告として使用し、世界的な恥辱をもたらした前歴がある者だ。韓国メディアは反日の為であれば、信用出来ない者が提供する、信用できない資料もこうして確認の手順を経ないまま、そのまま記事として掲載している。

韓国メディアは関東大震災時に6000人余りの朝鮮人が虐殺されたという風に主に報道する。しかしファクトとは言えない。関東大震災時に殺害された朝鮮人の人数は既に韓国政府が把握済みな状態だっだ。

1952年12月、第109回の国務会議においてイ・スンマン(李承晩)大統領の指示によって、全国調査を通じて内務部(韓国の部は日本の省に該当)において「日本震災時の殺害被害者の名簿」というものが作成されたのだが、この時に把握された殺害被害者は「290人」だった。

そして、2015年に国務総理傘下の「対日抗争期の強制動員被害の調査委員会」という所でこの290人に対する最終的な身元確認の手続きが進行したのだが、この内の40人の身元が確認された。反日性向が強かった李承晩大統領の時代に把握された被害規模が「290人」水準であったからには、今日議論に挙げられる「6000人」は反日の次元から作られた誇張に過ぎない数値だと見られる。

加えて当時の自警団の犯罪行為によって殺害された人の中には朝鮮人だけでなく、日本人の社会主義者と中国人もいたという点を勘案すべきだ。

2009年に工藤美代子『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』と言う本が出版された。著者によれば、当時の内務省で集計された朝鮮人被害者数は233人となる。1952年の韓国政府が調査して把握した犠牲者数(290人)とほぼ似たものだ。

著者は様々な資料を根拠にして、地震当時の東京とその周辺に居住していた朝鮮人の人数を約9800人と推定した。ところで当時の「後藤新平」内務相による国会答弁によれば、自警団の犯罪に備えて日本政府が千葉県の陸軍部隊などの施設に収容して保護していた朝鮮人の数は6797人だ。この人数(6797人)に、殺害されたことが確実な233人を合わせれば、7030人となる。

であれば東京およびその周辺に居住していた朝鮮人の推定人数の9800人からこの7030人を引けば2770人となる。ここで震災によって死亡した日本人の死亡率をそのまま朝鮮人にも適用すれば、純粋に震災被害で死亡した朝鮮人は1900人と推計される。結局、2770人から、純粋な震災による死亡者1900人を引けば、虐殺対象となったものと更に推定できる最大人数の規模は870人程となる。

震災初期に被災地域から迅速に脱出して遠い地方へ移動したり、朝鮮へ帰って行ったケースもありうる。著者によれば、震災当時の東京で発行された新聞や地方紙には、朝鮮人が犯した集団暴行事件やそれについての目撃談が多く掲載された。このような事情の為に、自警団と言うものが、全く有り得もしない流言飛語によってのみ発生したものではないと見られる。

加えて当時、日本に居住していた一部の朝鮮人と日本の社会主義者が結託し、日本政府を転覆させて、朝鮮は独立するのだという試みがあった。こうした朝鮮人の社会主義者と日本人の社会主義者たちは、震災の同年である1923年11月27日に予定された皇太子(後の昭和天皇)の結婚式を総決起のDデイ(決行日)として計画していた。

ところが、皇太子の結婚予定日の前に、大震災で大混乱が発生するや否や、急遽計画を繰り上げたという説が強い。震災直後、日本政府が戒厳令を下したのも、このような「情報」を根拠としたのだと見られる。

万が一、今日の韓国人が洗脳されて認識しているかの如く、関東大震災当時、6000人の朝鮮人が日本の自警団、警察、軍人から虐殺されたのが本当であれば、大震災の翌年である1924年に日本へ渡って行った朝鮮人の規模が3万7737人にもなったということを説明出来ない。

関東大震災当時(1923年)、日本全国に居住する朝鮮人の規模は8万415人だったのだが、1年後の1924年には11万8152人へと47%も増加した。朝鮮人に対する自警団の憎悪犯罪で6000人が虐殺されたのであれば、日本に居住する8万人以上の朝鮮人の相当数がむしろ急いで朝鮮へ避難していて初めて正常だ。ところが現実は、多くの朝鮮人が逆にそのような危険極まりない日本の地へと押し寄せた。

このような現象をいかに解釈すべきなのか?今日の基準で見た時に理解できないこのような現象は、今日の韓国人が想像する日帝時代の姿が実は「歪曲」と「捏造」によって汚染された虚偽の姿であり、ファクトは別に存在しているというのを暗示する傍証だと見られる。

8月26日の韓国日報の記事のタイトルは「『朝鮮人を縛って立たせて機関銃で…』関東大震災時の虐殺、韓日市民が教える」となっている。ところがいくら記事を読んでみても、タイトルを裏付ける客観的証拠は紹介されていなかった。

主観的証言とあちこちから動員された「出処・真偽の不明な噂」水準の資料のみが言及された。経験上、このような場合、以下のように疑うほかない。

- 朝鮮人を縛って立たせたと?それが朝鮮人だったのか如何して分かるのか?もしかして武装蜂起を起こした社会主義者が捕まえられたものではないのか?

- 万が一、戒厳令下で武装蜂起したものであれば、軍隊を動員して鎮圧するのは、地球上のどの国でも当然のことでないのか?

- 韓日の市民が関東大震災時の虐殺を教えると?その市民だという者達はもしかして左派もしくは朝鮮総連と密接な人々ではないのか?

韓国メディアが量産する日本関連記事は疑うことから始めるのがよい。そうすれば洗脳されないのだ。韓国メディアによる日本関連報道を額面通りに信じれば、犬・豚の水準へ落ちるのはあっという間だ。

反日プロパガンダ記事なんかを読んで犬・豚の水準となり、毎日のように日本に向かって泣き叫ぶ者が韓国には至る所に散在する。多くの犬・豚と共に、この地で生きて行かねばならないのは本当に疲れるものだ。

※関東大震災当時の日本メディアの報道

●関東大震災(1923年9月1日午前11時58分)発生後の日本メディアの報道(タイトル、サブタイトルなど)

「地震の混乱に便乗し、朝鮮人たちが行った暴動、略奪、放火。その中には婦女子凌辱も…一般の朝鮮人は無関係」『読売新聞』
「家々を歩き回って、朝鮮人が放火」『新愛知新聞』
「主義者(社会主義者)と朝鮮人が仲間となり、上水道に毒を散布。警戒中の軍隊が発見し発砲」『下越新報』
「怪しい朝鮮人が各所に放火。帝都に戒厳令宣布」『東京日日新聞(現・毎日新聞)』
「朝鮮人200人が刀を抜いたまま持って、各所で乱切り。警官隊と衝突」『東京日日新聞』
「3日朝、二人の朝鮮人が毒薬を井戸に投下しようとする現場を警戒員が発見し即時逮捕」『東京日日新聞』
「不純な朝鮮人千人を相手に横浜で戦闘開始。歩兵一個小隊が全滅?一個中隊を追加派遣」『新愛知新聞』号外

●以後、日本政府は事態をそのまま放置すれば、朝鮮人犯罪者とこれに対抗する日本人自警団との間の対立が激化し、内戦事態にまで悪化する可能性があると判断して、事態沈静のために、各報道機関に朝鮮人犯罪についての報道をこれ以上出来ないように指針を下達。更に日本政府は各報道メディアを通じて「日本内務省告知文」を一斉に報道するように措置(「後藤新平」内務大臣主導)。

「日本内務省告知文」
‐善良な朝鮮人を愛すること。善良な朝鮮人を敵視してはならない。
‐警察力と兵力が十分であるため、信頼して安心すること。
-各地で武器を所持して自衛する必要なし。
‐恣意的に武器を所持することは戒厳司令官の命令に違反するものだ。

●その後、事態を沈静化させようとする日本政府により、善良な朝鮮人の被害などを主に浮き彫りさせるようにメディアに指針を下達し、それに応える記事が登場。

「朝鮮人が所持していたという爆弾、呆れた流言飛語。実は爆弾ではなく果物」『東京日日新聞』
「朝鮮人自治団体が無償で道路復旧工事。誤解解消のための努力」『東京日日新聞』
「朝鮮人の助けを得た老婆。連絡先なく消えた命の恩人の朝鮮人」『東京日日新聞』

※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。

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