韓国メディアも連日、大会の熱戦の模様を伝えているが、長年パラリンピックで授与されてきた、ある韓国人の名前を冠した功績賞が、今大会からなくなることを各社がこぞって報じた。廃止されるのは、韓国人女性医師のファン・ヨンデ(黄年代)氏の名を冠した「ファン・ヨンデ功績賞」と呼ばれる賞。
ファン氏は自らも足に障害を持ちながら、韓国でパラリンピック競技の普及のほか、身体障害者の福祉・リハビリ・教育に長年尽力してきた。1975年に韓国初の障害者リハビリ・福祉施設「正立館」の建設を主導したことでも知られる。
同功績賞は「選手の実績よりも、公正、正直で、パラリンピック精神の体現に不屈の意思を発揮した個人に贈る」(国際パラリンピック委員会)という趣旨で創設された。1988年のソウル大会以降、参加選手の中から選んだ男女各1人に閉会式でメダルを授与してきた。
これまで計28人に授与され、韓国人選手、日本人選手では、それぞれ1人が受賞している。日本人選手で唯一の受賞者は、2010年のバンクーバーパラリンピックで、アイススレッジホッケー日本代表チームの主将を務めた遠藤隆行さんだ。
受賞者には純金75gで製作されたメダルが授与され、パラリンピックで純金のメダルはこの賞のメダルが唯一であった。
同功績賞は東京大会からなくなることになり、韓国メディアは「夏季・冬季パラリンピックの最優秀選手賞(MVP)の意味合いを持つファン・ヨンデ功績賞が、2020東京パラリンピックから見ることができなくなった」(東亜日報)などと報じた。
朝鮮日報は、「日本にやられたのか…パラリンピックMVP『ファン・ヨンデ功績賞』がなくなる」と刺激的な見出しを付け、「ファン・ヨンデ女史が『私の人生を決定した重大事件』と何回も明かした逸話のせいで日本が今まで『功績賞の存続』に不満を持っていた」と説明している。
この記事では、日本の半島統治時代、ポリオ(小児麻痺)で足の不自由なファン・ヨンデ氏が小学校に入学しようとした時、日本人校長が障害に対して屈辱を与え、入学を拒否したとの逸話を紹介している。別の記事では大韓障害者体育会は30年以上の歴史を持つ同功績賞の重要性を国際パラリンピック委員会(IPC)に説明し「廃止を再考してほしい」と要請したが、受け入れられなかったという。
このような韓国報道の中、東京パラリンピックでは、「I`m POSSIBLEアワード(私はできる賞)」が新設された。IPCの事業開発を行う「アギトス財団」が開発した共生社会への気づきを促す教材「I`m POSSIBLE」を活用し、豊かな学びを実践した学校を閉会式で表彰するという。
韓国報道では「I`m POSSIBLEアワード」が新設されたことについて、東京パラリンピック組織委員会が同賞の新設に深く関わったと指摘され、「日本がパラリンピック開催を機に、このファン・ヨンデ功績賞を無くし、全く新しい賞を作って大会のレガシー(遺産)にしようとしているとの見方もある」と伝えている。しかし、IPCは「総合的に判断した措置」としている。
同紙によると、ファン氏は2018年のピョンチャン(平昌)パラリンピック開催時、「東京パラリンピックは私が直接、賞を授与できる最後の大会になるだろう」と話していた。ファン氏は現在82歳で、最近は闘病している。自身が創設した賞がなくなることを知り、残念な様子を見せているという。
同功績賞には、韓国政府の支援金などのほか、ファン一族の私財も充てられてきたという。賞はなくなるが、ファン氏がこれまで果たしてきた役割は大きく、パラリンピックの歴史に刻まれるはずだ。
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