韓国は今大会、ボッチャや卓球、バドミントンなど14競技に159人(選手86人、役員73人)の選手団を派遣した。規模としては1988年のソウル大会の366人(選手236人、役員130人)に次ぐ。
韓国の成績は、金メダル2個、銀メダル10個、銅メダル12個の総合順位41位だった。大韓障害者スポーツ協会は大会前、「14種目で計34個(金4個、銀9個、銅21個)のメダルを獲得し、総合20位」を目標に掲げていたが、達成はならなかった。
韓国メディアは「総合41位は韓国がパラリンピックに初出場した1968年のテルアビブ(イスラエル)大会以来、最低の成績だ」と伝えている。
今大会の成績を辛口評価し、今後に向けて課題を指摘する記事も出ている。
韓国の朝鮮日報は「パラリンピックの舞台に立つことだけで達成感を持つ選手がいる一方で、期待以下の成績に失望を隠せない選手たちも多かった」とし、「パラリンピックは、健常者の選手たちが出場するオリンピックに劣らず、熾烈(しれつ)で、なおかつ全てをかけて競争する舞台だ。『障害を見ずスポーツを見よ』と言われるように、純粋に競技的な観点から東京パラリンピックを振り返る必要もあるはずだ」と指摘した。
韓国が今大会で金メダルを獲得した競技はボッチャと卓球。ボッチャは9大会連続の金メダルとなり、ハンギョレ新聞は「韓国は自他共に求めるボッチャ最強国だ」とし、「これは東京五輪でアーチェリー代表チームが打ち立てた9連覇に匹敵する大記録だ」と偉業を称えた。
卓球では、男子シングルスでチュ・ヨンデ選手が金メダル。卓球は計13個のメダルを獲得し、韓国選手団が出場した競技の中では最多のメダル数だった。この結果については「しっかりとその役割を果たしたが、一方でメダル偏りの傾向を如実に示すものでもあった」と指摘された。
また、今大会に出場した韓国選手の平均年齢が40.5歳で、15人以上の選手を派遣した国の中では最も高かった点を挙げ「世代交代もうまく進んでいないようだ」とする。
韓国の東亜日報は今大会を総括する、大韓障害者体育会のチョン・ジンワン会長のコメントを紹介。チョン会長は「アスリートは自信を持って堂々と最後まで挑戦する姿、限界を乗り超えていく姿こそ美しい」とし「今大会で韓国の選手たちは、そのような姿が少し足りなかったことは事実だ。パラスポーツのために、韓国に帰って何をすべきか悩んでいる。課題が増えた」と語った。
一方、韓国選手団のチュ・ウォンホン(朱元洪)団長は大会前、スポーツソウルのインタビューに「今回の東京パラリンピックを通じて、多くの人に障害者スポーツにもっと関心を持ってもらいたい」と話していた。
しかし、韓国メディア「メディアオヌル」の報道によると、東京パラリンピックの韓国メディアの中継・報道量が、東京五輪の10分の1だったと指摘。底辺の拡大、競技の普及には国民の関心が不可欠だ。パラスポーツへの韓国民の関心をより高めるために、メディアの一層の努力も求められそうだ。
大会開会前は、大会出場国の中で韓国が最も日本に近く、時差への適応も必要ないことなどから、「韓国にとって好都合」と予想するメディアもあった。しかし、終わってみれば、東京オリンピックでも目標を達成できず、東京パラリンピックの成績も今一つ振るわなかったと受け止められている。
しかし、オリンピックやパラリンピックに参加する選手や役員たちの士気を低下させ、不振を招いたのは別のものとの分析もある。大会前から科学をないがしろにし放射能うんぬんと言い、政治的な目的でボイコット騒ぎを起こし、お弁当を”放射能フリー”と言い、環境にやさしい段ボールベッド貶め、政治論争を巻き起こした横断幕を選手村にかけたことなどが、その背景にあるとのこと。お台場の水質問題や金メダルの塗装が剥がれたことまでが日本に対してマウントを取ろうとする韓国で話題となっていた。
パラリンピックの時は、障害をもつ韓国人女医ファン・ヨンデ氏により制定され、1988年のソウル大会から2018年のピョンチャン(平昌)大会まで30年間も続いてきたた「ファン・ヨンデ功績賞」が”日本の陰謀”により廃止され、「I`m POSSIBLEアワード」に代わったとの風説が韓国で広まったりしていた。
そこには、「日本の半島統治時代、幼い時のファン氏が一般の小学校に入学しようとしたところ、日本人校長が障害の少女に屈辱を与えた」との逸話が付く。本来ならその時代、「障害者に対する差別」を指摘する逸話であったが、なぜかそれが政治色を浴び「朝鮮人に対する差別」の逸話のごとく悪用されているのが今の韓国の悲劇でもある。
スポーツと政治は分離が難しい側面も確かにあるが、それを分離しようと努力することでスポーツは自己克服や人類愛の象徴として輝くとの事を噛みしめてほしい時だ。
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