6・25の際、日本が兵站基地の役割を果たしたのはよく知られている。日本の戦闘ノウハウ(Knowhow)が発揮された分野は掃海だ。敵軍が海に敷設した機雷を除去する仕事だ。
機雷を除去する仕事は陸地の地雷を除去する仕事より、その重要性がはるかに高い。何故ならば地雷が主に少数の兵士、車両、もしくは戦車などをターゲットとするのに比べて、機雷は基本的に軍艦や潜水艦をターゲットにするためだ。被害人員数や金額の側面で比較にならない。
今日の日本は世界最高水準の機雷除去の実力を保有している。掃海艦、掃海艇などの装備保有の側面でも米国を上回る。日本が質的、量的側面で、掃海分野におけるトップへ昇ることになったのは、過去の戦闘経験を通じて蓄積したノウハウ(Knowhow)のお蔭だ。
勝敗は別にして、近代の海戦史において日本の存在は別格だ。日露戦争時の対馬海戦(日本海海戦)がそうであり、太平洋戦争時のミッドウェイ海戦がそうだ。数多くの海戦を戦うと同時に、日本は機雷を敷設し、敵の機雷を除去する作戦を繰り返した。
例えば、太平洋戦争時に日本は列島防衛用に近隣海域に5万個以上の機雷を敷設した。それに加え、米軍が封鎖用として敷設した機雷まで合わせれば、日本列島の海域に7万個近い機雷が存在した。世界史上これほど多くの機雷が敷設された事例は後にも先にもない。
機雷は終戦後、20年余りかけて全部除去された。1991年の湾岸戦争直後にペルシア湾に派遣された海上自衛隊は他国の海軍が躊躇う「最も危険で難しい海域」を引き受けて30個以上の機雷を成功裏に除去したことで実力を立証しもした。
このような日本の掃海能力が6・25(朝鮮戦争)時の韓半島海域(元山の沖など)で発揮された。機雷除去のような直接的な作戦でなくとも、日本は仁川上陸作戦に関する助言と共に、韓半島の地形に関する各種情報を米軍側に提供することによって、戦争遂行に大きな助けとなった。このような直接的・間接的な役割の外に、日本は米軍兵力の輸送にも多くの日本人を投入した。
機雷除去、仁川上陸支援、米軍輸送など、主要な作戦に投入された日本人は8千名余りだと推算される。作戦中の死亡者(事実上の戦死者)も明らかに発生しただろう。このような参戦規模は6・25参戦16か国の中で6番目の規模に相当する。
日本の6・25参戦は今日、公式統計には捕捉されていない。6・25の特需のお蔭で日本が大きな利益を得たという風に、韓国人はしばしば話をする。しかし一方で、当時、日本と言う後方基地が無かったとしたら、今日の韓国はそもそも存在できないところだったという事実もまた知らねばならない。
※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。
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