<b>5枚目のアルバム発売…音楽の色が180度変身
整った容姿に柔らかい声 その中に隠した欲、強迫観念、劣等感、怒り</b>

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歌手フィソン(本名:チェ・フィソン/25)は、ときどき残忍になる。傷ついた数多くのエゴを癒そうとすると、その鞭はますます鋭くなる。心を痛め涙を流しても、結局はいつも“音楽”だった。

5thアルバム『Eternal Essence of Music』の作業も、疾風怒濤を経た。昨年5月に<YGエンターテインメント>を去ってから初のアルバム。巣立った理由に応えるためには、不自然ではない変化、妥当な変身が必要だった。

フィソンは自分だけができるものを探すため、長い間閉じこもり悩んだ。
「人々を驚かせる要素、一度で耳にすっと馴染むソース、そしていい曲。この三拍子を備えた音楽じゃなきゃいけなかったんです。もちろん、新鮮で僕だけが歌える…」
所属事務所代表の作曲家パク・クンテ(35)は、あるコンサートでフィソンのパフォーマンスを見た後、「ラップをやってみよう、それとダンスを取り入れよう」と提案した。これまでフィソンのヒット曲が、『ダメなのかい』『With Me』『不治の病』など、“悲しいR&B”だったという点に着眼した。

5thアルバム『愛はおいしい』にはラップが入っている。3thアルバムの『脱皮』という曲でラップを歌って以降、初めてだ。
「クンテ先輩から曲をもらった後、すぐに歌詞を書きました。この曲をレコーディングする瞬間から毎日夜を徹しました。死ぬかと思いました。この曲はラップとパフォーマンスがポイントなので、僕の役割が本当に重要なんです」
これだけではない。5thアルバムにはヒップホップ(『罰』)、ラウンジ(『Savannah Woman』)、バラード(『ケガしてもいい』)、レゲエ(『My Way』)、中国風メロディ(『どういうわけか秘密』)など、各種のジャンルが盛り込まれている。全ての曲をフィソンが歌ったのかと疑問に思ってしまうほど、音色も異なる。「声で遊ぶのが好き」という彼の言葉通り、レゲエ曲は我が耳を疑うはずだ。

「音楽を一生懸命やり続ける理由ですか?他に取りえがないからです。趣味もないし。また、僕を一番輝かせてくれ、たくましくさせてくれるのが音楽です。家族を養うこともそうですしね」

ソロデビュー前に苦労した無名時代も、成長する栄養素となった。事実、彼の音楽界デビューは、高校3年の時である1999年、4人組グループ<A4>。2枚のアルバムをリリースして2000年に解散した。
「その後、狂ったように精神的に彷徨しました。ボーカルスクールに通って、6か月間、昼の12時から夜10時までトイレへ行く以外はずっと歌い続けました。周りからは狂ったと言われたし、近くの住民からはうるさいと警察に何度か通報されました」

「“僕は誰よりも歌が上手くならないといけない”という思いで、本当に死ぬほど練習しましたね。スクールの仲間の中で歌が上手かったのがBIG MAMA のイ・ヨンヒョンとイム・ジョンヒでした」
スクールを辞めた後、バンドを組んだ。2000年に川辺(カンビョン)歌謡祭に出場し、1・2次予選には合格したが、3次予選で脱落した。当時の審査委員だった歌手イ・サンウがフィソンに注目し、自身が運営するプロダクションのレッスン生に抜擢した。約1年後、彼はそこで出会った現パク・キョンジンMboat代表とその会社を出て、ソロデビューの準備を整えた。<Mboat>は、YGとフィソンのアルバムを共同制作し、彼はソロデビュー曲『ダメなのかい』で、世間にその名を広めた。

「駅三洞(ヨクサムドン)のスタジオで生活しながら、14時間ずつ練習しました。のどが枯れて声が出ないくらい。デビュー当時にソ・テジ先輩が推薦した新人として注目を浴び、2002年の韓日ワールドカップにも関わらず、『ダメなのかい』がヒットしました。当時Rain(ピ)が一緒にデビューしたんですが、その年の新人賞を2人で競い合いました」
振り返ってみると、本当に懸命に生きてきた時間だった。しかし、彼の現在進行形はまだ苛立っている。

「カムバック直前の今、時間が足りなくておかしくなりそうです。どうしてこんなに自信がなくなるのか…。ダンス、ライブ、健康の全てが完璧でこそ、完成度の高いステージをお見せできるのに…。全てを上手く整えられなくて、とても残念です。すぐ近くに住む母が家に立ち寄って、“息子よ、頑張れ”と朝から肉を焼いてくれています」

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