青瓦台をめぐっては、先の大統領選で、ムン・ジェイン(文在寅)前政権の「密室政治」を批判したユン・ソギョル(尹錫悦)現大統領が、国民との距離を縮めたいと「青瓦台を国民にお返しする」と宣言。尹氏の大統領就任式に合わせ、市民に開放された。
青瓦台がある地域にはもともと高麗時代に王族が住んでいた。日本統治時代の1939年7月、朝鮮総督官邸が建設され、1948年に大韓民国が成立すると、初代大統領のイ・スンマン(李承晩)が旧・朝鮮総督官邸をキョンムデ(景武台)の名称で官邸・公邸として使用開始。1960年12月に第4代大統領のユン・ボソンが青瓦台に名称を変更した。
現在の青瓦台はノ・テウ(盧泰愚)政権時代の1991年に完成。米ホワイトハウスの面積の3倍を超える25平方メートルの広大な敷地の中に大統領と家族が住む官邸、大統領の執務室、秘書官たちが詰める建物などが建てられた。大統領執務室がある本館と秘書たちが詰める建物の距離は500メートル以上もあることからも、その広大さがわかる。ちなみに、青瓦台という名称は、官邸の屋根が青い瓦で葺(ふ)かれていることに由来する。
これまで青瓦台には厳重な警備が敷かれ、秘書室長ですら大統領執務室を訪ねる際には事前に電話で許可を取る必要があった。国防上の理由から、地図には一部の観光地図を除いて青瓦台は記載されず、航空写真でも、国内向けのものでは加工処理されるなどしてぼかされた。しかし、文政権によって2017年6月26日から周辺道路の一般通行が24時間可能となり、周辺で実施されていた検問も平時はなくなった。写真撮影に関する規制も廃止された。
大統領執務室の移転はノ・ムヒョン(盧武鉉)元大統領や文前大統領も公約に掲げていたが、警備や保安上の理由から頓挫。尹大統領によってようやく実現した。1948年の政権樹立以来続いてきた権威主義的な「青瓦台時代」を終わらせたことは、韓国現代史における大きな転換点となったと評価の声も上がっている。
青瓦台は尹氏の就任式直後の5月10日午前11時半過ぎに一般に開放されて以降、連日、多くの観覧者が訪れ、開放43日目となる6月22日に100万人を突破した。文化財庁の青瓦台国民開放推進団が7月13日に発表した調査結果では、青瓦台の観覧者のうち89.1%が観覧に満足していることが分かった。最も満足した点としては、「青瓦台内の散策と景観の観賞」(61.8%)、「本館や迎賓館など室内の観覧」(28.3%)などが挙がった。青瓦台を観覧した理由を複数回答で尋ねたところ「大統領の執務空間に対する興味・関心から」が36.9%で最も多く、「初めて一般に公開される空間だから」が29%で続いた。また、青瓦台の活用・管理方向としては「大統領の人生と歴史が息づく現在の姿をそのまま保存してほしい」が40.9%で最も多かった。調査は青瓦台を6月22~26日に訪れた15歳以上の来場者1000人に行った。
文化体育館観光部のパク・ボギュン長官は7月21日、尹氏に対し、青瓦台の今後の活用計画を提示。それによると、青瓦台の本館と官邸は現在のまま保存し、青瓦台が所蔵する600点余りに上る芸術作品の展示スペースとして活用する。迎賓館はプレミアム近現代武術品の展示館とし、青瓦台の所蔵品の企画展を開催するほか、国内外の有名作品を展示する。庭は彫刻公園と野外公演場として活用する計画。17世紀フランスのプルボン王朝のルイ14世が、パリ南部郊外に巨大な人工庭園とともに造成したベルサイユ宮殿の仕組みをモデルとし、青瓦台を自然と芸術が調和した空間にしたい考えだ。パク長官は、「本館と官邸、本館跡地は歴代大統領の人生はもちろん、重要な決定を下した権力行使の瞬間を実感できるストーリーテリングの空間にするつもりだ」と構想を語った。
しかし、こうした計画に文化財の専門家らは批判を強めており、国の文化財政策を審議・決定する文化財委員会の関係者は、韓国紙・ハンギョレ新聞の取材に「歴史空間の保存のための基礎調査過程を経た後、熟考して発表すべき活用案を、こうした過程を飛ばして打ち出したことは極めて矛盾している」と憤った。また、文化財委のチョン・ヨンウ委員長は「文化体育観光部の案がそのまま推進されるのを黙って見ているわけにはいかない」とし、「青瓦台は大切な文化遺産だと強調していた尹大統領が、文化体育観光部の案をそのまま受け入れるとは思わない」とけん制した。
尹大統領の公約通り「国民に返された」青瓦台が、今後、多くの国民が納得する形で保存・活用することが求められている。
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