長い空白の期間、パク・チニョンはアジア人不毛の地とされる米ポップス市場に渡り、プロデューサー・作曲家としての足場固めに努めた。2002年にRainのセカンドアルバム『太陽を避ける方法』が大ヒットした後、何か新しいことがしてみたいとあてもなく米国に向かい、地道に音楽作業を続けた。2004年にはメイス、2005年にはウィル・スミス、キャシーのアルバムに曲が収録され、徐々に知名度を上げた。現在はマンハッタンに<JYP USA>を構え、新人歌手の育成に当たっている。
J.Y.Park(パク・チニョン) の最新ニュースまとめ
空白の末の歌手復帰に、成功へのプレッシャーはなかっただろうか。どんな音楽を作ればいいのかと悩んだ末、ファンたちと一緒に歳をとっていくことが最も重要だと考えた。新曲も若い層ではなく、かつてのファンたちの年齢層をターゲットにしたものだ。昔のファンを満足させることを1番大切にしたいと語る。
かつては衣装や振り付けなど、ステージングであっと驚かせることも多かったが、これからはただ目立つのではなく、ダンス・音楽・衣装がマッチした洗練されたものをやりたいと意欲を見せる。「韓国ほど無難な人間を作る国はない」というパク・チニョン。かつてはその思いが特別な行動をさせたが、「今はわたしじゃなくても、おかしなことをする人はたくさんいるでしょう」と語った。先ごろ事務所から独立した愛弟子のRainは、師の歌手復帰に「あまりおかしな衣装を着ないように」と言ったとか。
35歳になり、最も重要なことは残りの人生をどう生きるかだと考えるようになったが、その答えをついに見つけたと語るパク・チニョン。経営者やプロデューサーもいいが、自分はあくまで“歌い手”だと強く語る。観客が1人でも目の前にいる限り、ステージで感動を与えたい。7枚目のアルバムには6年前の曲から最近作業をした曲までが収録されている。「悪く言えば1つのカラーがないが、良く言えば多彩。音楽を聴けば、6年間どう生きてきたかを分かってもらえるでしょう」と紹介した。
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