裁判に出廷後、記者団の取材に応じる観音寺の田中節竜住職(資料写真)=(聯合ニュース)
裁判に出廷後、記者団の取材に応じる観音寺の田中節竜住職(資料写真)=(聯合ニュース)
【大田聯合ニュース】長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像「観世音菩薩坐像」(同県指定有形文化財)の所有権を主張する韓国の浮石寺(忠清南道瑞山市)が仏像を保管する韓国政府に引き渡しを求めた訴訟の控訴審弁論が17日、大田高裁で開かれた。韓国政府側の補助参加人である観音寺側はこれまでと同様に一定期間が経過すれば占有者の所有が認められる「取得時効」が成立するなどと主張したが、浮石寺側は略奪された文化財には適用されないと反論した。 観音寺側は提出した書面で、同仏像の所有権の所在は日本の民法によって問われるべきと主張し、日本の法において観音寺に所有権があるなどと主張した。 6月の裁判には観音寺の田中節竜住職が出廷し、仏像は16世紀に同寺を創建した僧侶が正当に韓国から持ち帰ったもので取得時効が成立していると主張したが、これを繰り返した形だ。 ただ観音寺側は、仏像が持ち込まれた時期などの詳細については明らかにしなかった。 6月の裁判で田中住職は仏像が違法に持ち出されたものではない根拠を日本に戻り探すとしていたが、今回の裁判で関連資料は提出されなかったようだ。 高裁は観音寺側に対し、仏像を取得した時期についての追加説明などを要求し、次回の弁論は10月26日に開くとした。 浮石寺側は弁論後、観音寺側の主張に対し、「韓国の民法によって所有者を決めなければならない」とし、大法院(最高裁)の判例を例に挙げ、略奪された文化財については、時効取得が認められないと反論した。 原告の浮石寺は、韓国人の窃盗団が2012年に観音寺から盗んで韓国に持ち込んだこの仏像について、数百年前に日本の倭寇(わこう)に略奪されたものだと主張している。17年1月の一審判決では、仏像の中から見つかった記録などを根拠に「浮石寺の所有と十分に推定できる」として同寺への引き渡しが命じられた。 1951年に仏像から見つかった像内納入品の中には、1330年ごろに瑞州(瑞山の高麗時代の名称)にある寺に奉安するため制作されたと読み取れる内容が記録されていたが、韓国政府側の検察は、記録が実際に高麗時代末期に作成されたことを立証する資料がなく、記録の信ぴょう性は高いとはみなせないなどと主張し、控訴した。
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