韓国の科学技術情報通信部(部は省に相当)郵政事業本部は、15日の光復節(日本による植民地支配からの解放を祝う日)に合わせ、「韓国の独立に献身した外国人」をテーマにした記念切手を64万枚発行した。切手には、はためく太極旗を背景に、米国出身の宣教師、ホーマー・ハルバート(1863年~1949年)と、英国人ジャーナリスト、アーネスト・トーマス・ベセル(1872年~1909年)が描かれている。2人は韓国独立に関連して、どのような功績を残したのだろうか。

 ハルバート氏は1886年に韓国初の近代式国立学校である育英公院に派遣され、外国語教師として活動した。また、ハングル教科書「士民必知」など、朝鮮に関する書物も数多く残した。1907年にオランダで起きたハーグ密使事件に関与した人物としても知られる。

 同事件は、大韓帝国皇帝のコジョン(高宗)が、オランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送った事件。1905年、日本は日露戦争に勝利し、ポーツマス条約によりロシアに対し日本が韓国を指導・監督することを認めさせた。その後も英国や米国にも同様の内容を認めさせた。日本のこうした動きに反発した高宗は、世界に向けて訴えるため、多くの国が集まる万国平和会議に3人の密使を派遣。抗議しようとするも列強に取り合ってもらえず失敗に終わった。日本は高宗がハーグに密使を送り込んだことを知ると、1907年、日本に抵抗した高宗を退位に追い込み、第三次日韓協約を締結。内政の権限を奪い、韓国の軍隊を解散させた。

 ハルバート氏は1905年、高宗の米大統領宛の親書を持って米国へ行き、日本の侵略行為の不当性を訴えたほか、同事件では密使派遣を支援した。

 ハルバート氏は1949年に再び韓国を訪れたが、滞在中に死去した。生前、「私は韓国の地に埋葬されることを希望する」との遺言を残していたことから、ソウル市内にある外国人宣教師霊園に埋葬された。韓国政府は1950年、外国人として初めて建国勲章独立章を授与した。また国家報勲処は2013年7月に、外国人として初めて「今月の独立運動家」に選定した。国家報勲処では、独立運動に貢献した人物の中から「今月の独立運動家」として毎月1人を選定している。

 ハルバート氏は生前、米紙のインタビューに「3・1(独立)運動で見せた韓民族の通精神と非暴力万歳抗争は、世界史で最も美しい愛国心の手本となった」と称えている。

 また、ジャーナリストだったベセル氏は大韓帝国で「大韓毎日新報」を創刊。反日的報道を展開した人物だ。ちなみに現在のソウル新聞は、同紙の流れをくむ。

 1904年に日露戦争が勃発すると、その取材のために特派員として大韓帝国に渡った。戦争後もとどまり、日本の帝国主義的な振る舞いを伝え、日本軍兵士による朝鮮人虐待や朝鮮人が不当に取り扱われている現状を報道した。大韓毎日新報は日本の大韓帝国統治に対して批判的な論調で伝え、抗日活動家が記事や論評を執筆した。英語やハングル、漢字・ハングル混成文で発行された。

 しかし、ベセル氏は1908年、日本政府に対する扇動罪で起訴され、有罪判決を受けた。当時、朝鮮には適当な刑務所がなかったため、上海に移送され収監された。釈放後、漢城(現・ソウル)に戻り新聞発行を続けたが、1909年5月、病死した。ベセル氏もまた「私は死んでも新報(大韓毎日新報)は永遠に、韓国民族を救いたまえ」との遺言を残した。ソウル市内にある外国人宣教墓地に埋葬され、朝鮮人の手により記念碑も建てられた。1968年には韓国建国勲章が授与された。

 今回、光復節に合わせて発行された記念切手には、ハルバート氏とベセルの肖像画が描かれ、背景にはハルバート氏が著したハングル教科書「士民必知」とアリランの楽譜、ベセル氏が創刊した大韓毎日新報と遺品の太極旗が描かれている。

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