韓国メディアによると、同委員会は15日夜、大学西門近くの学内芝生広場に少女像1体を設置した。少女像は幅2メートル、奥行き1.6メートル、高さ1.45メートル。設置にはクレーンやトラックなど重機も用いられたという。
慰安婦をモチーフにした少女像は、2011年に慰安婦支援団体の挺身隊問題対策協議会(挺対協、現・日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)がソウルの日本大使館前に設置したのが始まり。公道に建造物を設置することは韓国の法律に違反するのみならず、日本大使館前の設置は外交公館の威厳や機能を保証するウィーン条約にも違反する。このため、日本政府は像が日本大使館前に設置されたことに遺憾の意を表し、これまで繰り返し韓国政府に撤去を求めてきた。
しかし、2017年に地元自治体のチョンノ(鐘路)区が「都市空間芸術条例」の改正案を可決し、慰安婦像を「公共造形物」として区の管理下に置いた。これにより、像を移設、または撤去する場合、区の都市空間芸術委員会の決定に従わなければならなくなった。2015年12月に日韓両外相が発表した慰安婦合意では、日本大使館前にある慰安婦像について韓国政府は日本政府の懸念を認め「適切に解決されるよう努力する」と約束したが、現在も像は撤去されていない。
それどころか同様の像は韓国内のみならず、米国やドイツなど海外にも設置された。ドイツ・ベルリンのミッテ区には、ドイツの韓国系市民団体「コリア協議会」が中心となり、2020年9月、同協議会の事務局そばの区の公用地に設置された。当時、ドイツ国内は既に2体の像が設置されていたが、いずれも場所は私有地だった。しかし、初めて公共の場所に設置されたことから波紋を広げた。日本政府はドイツ側に撤去を働きかけ、同年10月にミッテ区長は一旦、撤去命令を出した。しかし、市民団体は「この像は戦時下における女性への性暴力をテーマとしたもので、日本に特化したものではない」と主張。結局、区長は撤去命令を撤回した。区は像の設置許可を1年間とし、昨年8月には設置期間をさらに1年間延長することが決まった。市民団体側は像の永続設置を目指し、区議会などに働きかけを続けている。
今年4月に東京で行われた日独首脳会談で、岸田文雄首相はショルツ首相に像の撤去に向けて協力を依頼した。首相自らが像の撤去を直接要請したことは極めて異例のことだった。しかし、このまま像の設置を欧州の主要国であるドイツで許せば、誤った歴史が国際社会に根付くことになりかねないという日本政府の危機感が背景にあったものとみられている。しかし、像の管轄はミッテ区で、独政府として介入できる余地は少ないことから、ショルツ首相の反応はかんばしいものではなかったという。
6月には、「慰安婦問題のうそを正す」として活動している韓国の市民団体「慰安婦詐欺清算連帯」がベルリン入りし、像の前で集会を開いた。同団体は像が国家間の対立までもたらしているとして、撤去を訴えた。しかし、像は事前に現地の活動家らによってシートで覆われており、設置の維持を主張する活動家らと衝突する事態となったという。
今回、忠南大学に設置された像について、大学側は許可しておらず「承認もないまま夜間に重機を使って少女像が無断で設置されたことに戸惑っている」としている。一方、設置した推進委員会は像の設置をめぐって大学側との協議が進まなかったことから設置を強行したと説明。「慰安婦被害者をはじめとする戦争被害者を慰め、称えるために大学構内に像を設置した」とし、「大学側が銅像を撤去すれば強力に対応する」と表明している。
しかし、大学教育とはなんら関係のない像が、まして国の管轄である国立大学の構内に強行設置されたことは、大きな問題をはらんでいるといえる。
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