<W解説>京都・ウトロ地区放火、被告に懲役4年=事件から考えるヘイトクライム(画像提供:wowkorea)
<W解説>京都・ウトロ地区放火、被告に懲役4年=事件から考えるヘイトクライム(画像提供:wowkorea)
在日コリアンが多く暮らす、京都府宇治市ウトロ地区の建物や、名古屋市にある在日韓国人の関連施設に放火したとして、非現住建造物等放火や建造物損壊などの罪に問われた被告(23)の判決公判が30日、京都地裁であった。増田啓祐裁判長は「偏見や嫌悪感による犯行で、民主主義において到底、許容できない」として、求刑通り懲役4年を言い渡した。

 ウトロ地区の被害者弁護団は、事件が特定の民族への差別に基づいたヘイトクライム(憎悪犯罪)であるとして、公判で犯行の動機を民族差別であると立証し、裁判所が量刑に反映するよう訴えていた。しかし、裁判所は被告の動機を「偏見に基づく」と認めはしたが、明確に「差別」とは踏み込まず、この点はヘイトクライムに対する課題を残したといえる。

 ウトロ地区は1940年から日本政府が推進した京都飛行場建設のために集められた朝鮮半島出身労働者の飯場跡に形成された集落。戦後、多くの労働者は帰国を希望したが、日本の植民地支配により故郷で生活基盤を整えるのが難しいケースも多く、日本にとどまる人たちもいた。しかし、住民たちの生活は厳しく、長年、劣悪な衛生環境下で懸命に生活を営んできた。

 1945年には地区内に民族学校「朝連久世分校」が開校。1945年に連合国総司令部(GHQ)と日本政府によって閉鎖となるも、近隣の公立学校で民族学級として存続し、民族教育が進められた。

 1989年には土地を所有する日本企業が住民に立ち退きを求め提訴。最高裁は2000年に住民の立ち退きを命じた。しかし、その後、韓国で「ウトロ国際対策会議」が結成され、日韓の市民団体や韓国政府の支援金などで土地の一部が取得され、立ち退きを求められた住民のための市営住宅の建設が始まった。来年までには希望する住民全員が入居する見込みとなっている。

 一方、住民たちは長年、職場や住居、生活のあらゆる面で差別を受けてきたほか、ヘイトクライムの被害にも遭ってきた。そんな中、昨年8月30日、ウトロ地区で倉庫や住宅などが全半焼する火災が発生。その前月には名古屋市の在日本大韓民国民団(民団)や韓国学校の建物の一部が焼けた。

 その後、奈良県に住む男が逮捕・起訴され、これまでの公判で被告は起訴内容を認め、動機について「韓国人に対する嫌悪感や敵対感情がある」などと述べていた。検察側は「職を失ったことなどにより鬱屈し、その憂さを晴らすため、どうせ事件を起こすなら社会から注目を浴びたいと考え、前から韓国人に対して一方的に抱いていた嫌悪感から犯行に及んだ」として、懲役4年を求刑していた。一方、弁護側は「家庭や社会で孤立しがちで自暴自棄に陥っていた」として情状酌量を求めていた。

 30日の判決公判で増田裁判長は求刑通り懲役4年を言い渡した。増田裁判長は「在日韓国・朝鮮人という特定の出身の人々に対する偏見や嫌悪感に基づく独善的で身勝手なもので、酌むべき点はない」とした上で、「暴力的な手段で社会の不安をあおって世論を喚起し、目的を達しようとすることは、民主主義社会において到底許容されるものではなく、はなはだ悪質」と指摘した。

 ウトロ地区には今年4月、地区の歴史を伝えようとウトロ平和祈念館が開館した。同館に展示予定だった資料など50点も、被告が同地区の倉庫に放火したことで焼失した。被告は公判で「展示品を使えなくすることで、祈念館の開館を阻止する狙いがあった」とも述べていた。

 被害者側はこれまで、被告の動機を差別と認定した上で、量刑面にも反映するよう求めてきた。しかし、差別的動機に基づいて起きた事件であったとしても、動機を量刑に反映させる根拠となる関連法が日本にはなく、判決でも明確に「差別」と踏み込まなかった。

 日本では一部の右派系市民グループが在日コリアンの居住地区などで差別的なデモを繰り返し、社会問題化した。2016年には不当な差別的言動を社会からなくそうとヘイトスピーチ解消法が施行した。しかし同法は罰則のない理念法という位置づけにとどまっている。

 判決後、同地区の在日コリアン関係者や被害者弁護団が記者会見し、豊福誠二団長(京都弁護士会)は「求刑通りの判決で、裁判所が重く受け止めていることは分かった」とする一方、「差別に基づく犯行という意味付けがされていない」と指摘。「差別は憲法で禁止されており、嫌悪感とは違う。差別はダメだと明確に言うべきだった」と批判した。

Copyrights(C)wowkorea.jp 3