<W解説>ドイツ・ベルリン市ミッテ区に立つ慰安婦像の設置継続見通し=韓国系市民団体の思惑は?(画像提供:wowkorea)
<W解説>ドイツ・ベルリン市ミッテ区に立つ慰安婦像の設置継続見通し=韓国系市民団体の思惑は?(画像提供:wowkorea)
ドイツのベルリン市ミッテ区に設置されている慰安婦を象徴する少女像が、新たな記念碑が建てられるまで存続する見通しとなった。この像は、ドイツの韓国系市民団体「コリア協議会」が中心となり2020年9月に設置された。設置期限は先月28日までとなっていたが、延長されるものとみられる。この像をめぐっては、岸田文雄首相が4月に日独首脳会談を行った際、ショルツ首相に撤去に向け協力を求めたことがある。

 「コリア協議会」が中心となり、同協議会の事務局近くの区の公用地にこの像が設置された当時、ドイツ国内は既に2体の像が設置されていたが、いずれも場所は私有地だった。しかし、初めて公共の場所に設置されたことから波紋を広げた。日本政府はドイツ側に撤去を働きかけ、2020年10月にミッテ区長は一旦、撤去命令を出した。しかし、市民団体側は「この像は戦時下における女性への性暴力をテーマとしたもので、日本に特化したものではない」と主張。結局、区長は撤去命令を撤回。区は像を1年間の期限付きで設置を許可した。しかし、昨年、期限を1年延長することが決まり、先月28日にその期限を迎えた。

 延長期間中、市民団体は像の永続設置を目指し、区議会などに働きかけを続けた。一方、今年4月に東京で行われた日独首脳会談で、岸田首相はショルツ首相に像の撤去に向けて協力を依頼した。首相自らが像の撤去を直接要請したことは極めて異例のことだった。しかし、このまま像の設置を欧州の主要国であるドイツで許せば、誤った歴史が国際社会に根付くことになりかねないという日本政府の危機感が背景にあったものとみられている。だが、像の管轄はミッテ区で、ドイツ政府として介入できる余地は少ないことから、ショルツ首相の反応は芳しいものではなかったという。

 また、6月には、「慰安婦問題のうそを正す」として活動している韓国の市民団体「慰安婦詐欺清算連帯」がベルリン入りし、像の前で集会を開いた。同団体は像が国家間の対立までもたらしているとして、撤去を訴えた。しかし、像は事前に現地の活動家らによってシートで覆われており、設置の維持を主張する活動家らと衝突する事態となった。

 先月28日、像の設置延長期限を迎えたが、韓国の放送局JTBCがミッテ区に取材し伝えたところによると、このほどミッテ区議会からミッテ区に記念碑が立つまで少女像の設置を延長してほしいとの要請があったという。JTBCは「少女像は新しい記念碑が設置されるまでは撤去されない見通し」と報じた。市民団体側は「戦時性暴力」をテーマとする記念碑の設置を計画中と説明している。存続中の時間を使って少女像はもとより、新たに設置する記念碑の永久保存を目指して区や区議会側に働きかけを続けるものとみられる。

 そもそも慰安婦を象徴する少女像が設置されたのは2011年12月にソウルの日本大使館前に置かれたのが始まり。設置したのは元慰安婦支援団体の挺身隊問題対策協議会(挺対協、現・日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯)だ。同団体が慰安婦問題の解決を訴えるために毎週水曜日に行う集会(水曜集会)の通算1000回目の開催を記念し設置した。挺対協は当初、日本大使館前に慰安婦の記念碑を立てたいと、ソウル市チョンノ(鍾路)区の区長に要望。当時の韓国メディアの報道によると、区長は記念碑の場合、道路専用許可が必要だが、像ならば芸術品とみなされ問題ないとの見解を示したとされる。以後、この像は日本への抗議活動をアピールする中心的存在となってきた。

 しかし、公道に建造物を設置することは韓国の法律に違反するのみならず、日本大使館前に設置することは外交公館の威厳や機能を保証するウィーン条約にも違反する。日本政府は当時から像の設置に遺憾の意を示しており、これまで繰り返し韓国政府に撤去を求めてきた。

 2017年にチョンノ区は「都市空間芸術条例」の改正案を可決し、慰安婦像を「公共造形物」として区の管理下に置いた。これにより、像を移設、または撤去する場合、区の都市空間芸術委員会の決定に従わなければならなくなり、現在も像は撤去されていない。

 その後、像は韓国内にとどまらず、ドイツや米国など国外にも設置されている。

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