<W解説>対馬から盗難の仏像、韓国の寺が上告で審理継続=返還の見通し立たず(画像提供:wowkorea)
<W解説>対馬から盗難の仏像、韓国の寺が上告で審理継続=返還の見通し立たず(画像提供:wowkorea)
長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国に持ち込まれた仏像をめぐり、韓国のプソク(浮石)寺が所有権を主張して引き渡しを求めている裁判で、原告側は10日、韓国の2審の高等裁判所が訴えを退けたことを不服として、大法院(最高裁)に上告した。日本側が仏像を返還するよう韓国側に求める中、今後も大法院で審理が続くことになる。

観音寺が所蔵していた長崎県の指定有形文化財「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」は2012年10月、韓国人窃盗団によって盗まれた。翌2013年に窃盗団が韓国警察に逮捕され像は押収されたが、現在、中部のテジョン(大田)市にある国立文化財研究所に保管されている。仏像の中からは「1330年ごろ、ソジュ(瑞州)にある寺院に奉安するためにこの仏像を制作した」という内容が記録された文書が発見された。瑞州は瑞山の高麗時代の名称。瑞山に位置する浮石寺はこの記録文書を根拠に「像はもともと自分たちのもので、日本に略奪された」と主張。同寺は2016年に韓国政府を相手取って、仏像の日本への返還差し止めを求める訴訟を起こした。同寺の提訴は、仏像を日本に返す方向で動いていた韓国政府にとっては寝耳に水のことだった。

一審で韓国の裁判所は、仏像の中から見つかった前述の記録文書の内容と、1330年以降、5回にわたって倭寇(日本の海賊)が瑞山地域に侵入したとする高麗史の記録などから、仏像が略奪などによって浮石寺から持ち出されたと判断。2017年、裁判所は「仏像は浮石寺の所有と十分に推定できる」として、仏像の同寺への引き渡しを命じた。この判決に日本側は反発し、日韓関係悪化の一因にもなった。

一審の判決には当時、韓国の専門家などからも疑問の声が上がった。対馬にある朝鮮半島仏像を研究してきた韓国教員大学の故チョン・ヨンホ名誉教授は、一審判決が出た2017年に韓国紙・ハンギョレ新聞に寄稿。チョン名誉教授は「仏像が略奪品だとしても、それをまた別の略奪(韓国人窃盗団による窃盗)というやり方で返してもらうことは正当化できない」と指摘した。

韓国政府は、一審判決後、仏像と浮石寺との関係が十分に証明されていないとして控訴し、大田市の大田高裁で二審の審理が続けられてきた。

昨年6月には、観音寺の住職が「補助参加人」として裁判に初めて出席した。住職は「仏像は盗まれて違法に韓国に持ち込まれたという本質に立ち返るべきだ」と主張。「1日も早く、われわれの手元に戻ってくることを強く望んでいる」と訴えた。

そして大田高裁は今月1日の控訴審判決で一審判決を取り消し、観音寺の所有権を求める判決を言い渡した。高裁は「1330年に浮石寺が仏像を制作したという事実関係は認めることができ、倭寇が略奪し、違法に持ち出したとみなせる証拠もある」としつつ、「当時の浮石寺が現在の浮石寺と同一の宗教団体ということが立証できない」と指摘。観音寺が一定期間にわたり「平穏かつ公然と」持つことで所有権が認められる日韓の民法上の「取得時効」が成立し、現在の所有権は観音寺側にあると認定した。

浮石寺の住職は判決の言い渡しが終わってもしばらく席を立ち上がらず、判決の内容を受け入れられない様子を見せた。僧侶は「勝訴だと思っていたが、私たちにとってはとても遺憾だ」と話した。

浮石寺は判決を不服として10日、大法院に上告した。上告審では高裁に指摘された浮石寺の同一性と連続性の立証に力を入れるものとみられる。

NHKによると、原告側が上告したことに観音寺の田中節竜住職は「原告が上告することは予想していた。(仏像が盗まれてから)既に10年も経過しているので、これからも淡々と対処していきたい」と話した。また、松野博一官房長官は10日「韓国内で係争中の事案であるため、わが国の対応の詳細を含め、コメントは差し控える、政府としては、長崎県対馬市の観音寺を含む関係者と連絡を取りつつ、適切に対応していく」と述べた。

原告側が上告したことにより、今後も審理が続くことになった。その上、高裁は判決を言い渡す際、「民事訴訟は所有権の帰属を判断するだけであり、文化財の返還問題は国連教育科学文化機関(ユネスコ)条約や国際法に基づいて決める必要がある」とし、仏像を日本に返還すべきかどうかの判断には踏み込まなかった。仏像返還の見通しは一向に立たない。

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